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短刀 銘伊賀守金道

伊賀守金道16-17th Century

京都国立博物館

京都国立博物館
京都市, 日本

平安時代から南北朝時代にかけて繁栄を見た山城鍛冶も、南北朝時代の終わりから室町時代に入ると、戦乱による京都の荒廃に加えてと日本最大の鍛冶勢力・備前鍛冶や新興の美濃鍛冶といった他国の刀剣に押されて衰退した。やがて、群雄割拠の時代をむかえ、新たに生まれた戦国大名らがこぞって上洛を目指しだすと京都は再び活気を取り戻し、信長の二条城築城や、秀吉聚楽第、伏見城の構築などに呼応して種々の職人が移住した。その中で、16世紀末に美濃から移住してきた兼道(かねみち)を祖とする一派が「三品(みしな)派」である。兼道の子である伊賀守金道・和泉守金道(いずみのかみかねみち)・丹波守吉道(たんばのかみよしみち)・越中守正俊(えっちゅうのかみまさとし)はみな一流の名工で、中でもこの短刀の作者である伊賀守金道は後に代々「日本鍛冶惣匠」を名乗り、朝廷への受領願の斡旋を一手に行うことで全国の刀工達の総領として君臨した。
 初代・伊賀守金道の手による本品は、いわゆる「寸延短刀」と呼ばれるやや長めのもので、板目肌に柾目がかって肌立つ鍛えの地鉄に、皆焼(ひたつら)風の飛焼(とびやき)や、簾(すだれば)を交え、砂流(すながし)のかかった錵(にえ)の強い刃文を焼く。帽子はのたれ込んで小さく、深く返るが、これは三品派の作品に顕著な特徴で「三品帽子」と通称されている。総身に気魄が漲り、微細な金属結晶の輝きと、華麗な刃文で観る者を魅了する優品である。後に丹波守吉道が完成させた簾刃の萌芽が見えることから、一族間での技術研鑽の背景が垣間見え、資料的な価値も高い。

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