博多の豪商で茶人としても名を知られる神屋宗湛(1551~1635)が所持していた唐物茶入です。「博多」の名を冠したこの茶入は、秀吉から「博多の茶坊主」と称され目を掛けられた宗湛秘蔵の名器で、九州平定のため下ってきた秀吉を招いた茶会で使用して所望され、「日本の半分となら交換しましょう」という機転のきいた返答によって諦めさせたというエピソードが伝わり、桃山時代の茶の湯の自由闊達な空気とともに当時の博多商人の力を知るうえで格好の逸話となっています。林檎の雅称である文琳の名のとおり全体に丸い形をしていますが、口部は喇叭形に開いて捻り返しがなくやや厚手に造られているなど、唐物茶入のうちでも古様な特徴を見せています。のち黒田藩主忠之により、寛永初年に黄金2千両および知行500石という途方もない代価をもって召し上げとなり、以後、黒田藩に伝えられました。