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祇園祭礼図屏風

不明17th Century

京都国立博物館

京都国立博物館
京都市, 日本

 京都の夏をつげる祗園祭は、疫病退散を祈願した平安時代の御霊会(ごりょうえ)が起源ともいわれるほど長い伝統をもつが、八坂神社の神輿渡御(しんよとぎょ)と山鉾(やまほこ)巡行は、そのハイライト。この屏風の向かって右隻が旧暦6月7日の山鉾巡行(前祭(さきのまつり))、左隻が6月14日の山鉾巡行(後祭(あとのまつり))の景だ。右隻では長刀(なぎなた)鉾を先頭に、芦刈山、占出山(うらでやま)から岩戸山、船鉾(ふねほこ)まで、23基の山と鉾、左隻では橋弁慶山を先頭に、八幡(はちまん)山、黒主(くろぬし)山から凱旋船鉾(がいせんふねほこ)まで十基の山鉾の巡行がみえる。
 保存状態よく、金や濃彩の響き合いがじつに美しい。また人物の顔や着衣の柄はひとりひとり描き分けられ、環境描写にも手抜きはない。そうした優れた描写、絵具や金箔の質の高さなどから、しかるべき発注者が想定されるが、各所の貼札や描写内容から、発注者は武家、具体的には京都所司代の板倉重宗(いたくらしげむね)(1586~1657)とみる説が有力だ。左隻第2扇中段の門前、赤い毛氈を敷いた集団に「せいかん寺(誓願寺)公儀奉行衆さんしき(桟敷)」の貼札があり、これが重宗一行とみられる。
 制作した絵師については目下、特定はなされておらず今後の研究が求められるが、京都の絵屋の絵師、海北友雪(かいほうゆうせつ)(1598~1677)を想定する意見が出ている。

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