雪舟は室町時代後期の禅僧で、応仁元年に入明して画技を学びました。強靱で厳しい筆致と構築的な画面構成は、日本の水墨画史のなかでも群を抜いており、のちの漢画諸派に多大な影響を与えています。白鹿を従えた寿老人の背景を薄い墨で塗りこめ、頭光は塗り残した紙の地色によって表現されています。頭光の円と呼応するように、鹿の体と寿老人の衣が一体となって、同心円を形作っています。本図は、もとは左右に山水図を伴った三幅対として、筑前国福岡藩主・黒田家に伝来しました。現在では山水図の二幅はアメリカのミシガン大学に収蔵されています。黒田家にはこの他にも、重要文化財の「四季山水図」や、雪舟と伝承されてきた作品を所蔵していました。雪舟は中国渡航の前後には福岡の地を経由したと考えられていますが、これらの作品は、雪舟が当地で制作活動を行った可能性を示唆するといえるでしょう。