朝の化粧をしているのは四谷怪談のお岩。破れ団扇を持ち、蚊遣火(かやりび)の中から現れたような姿は皿屋敷のお菊である。江戸時代の怪談を代表する2人がいかにも女性的で日常的な所作のうちに表現されており、それだけにかえって怖い。見る者を強く惹きつけずにはおかないぞっとする容貌だが、恐ろしい姿になる以前の美しさと個性の名残もわずかに感じられる。
作者の吉川観方(よしかわかんぽう)(1894~1978)は、京都の日本画家で膨大な資料を収集した風俗研究家でもある。福岡市博物館は1万数千点の旧吉川観方コレクションを所蔵しているが、そこには50点以上の肉筆幽霊画が含まれている。それらを研究した集大成として描かれたものであろう。円山応挙(まるやまおうきょ)に始まる江戸時代以来の幽霊画の優作、傑作と並べてみても遜色がなく、日本の伝統的な幽霊画史の終尾を飾るにふさわしい作品である。写実的な近代日本画の技法によって日常風景の中で女性の幽霊をとらえたのは、風俗研究家でもあった日本画家ならではの発想であろう。ちなみに、観方は生前「夕霧」を「雨夜の蚊遣火」と題して白書の中で紹介しているが、両幅ともに昭和23(1948)年2月の墨綿と淡彩による下描きが残されており、左右同時に対として構想されたことが明らかである。
【ID Number1993B02903】参考文献:『福岡市博物館名品図録』