本図は、近代日本画を語る上で欠かすことのできない画家の一人、菱田春草が27歳で手掛けた作品である。
春草は、岡倉天心から強い影響を受け、横山大観らとともに、従来日本画が不得手としていた空間や光を描き出すため、日本画の命ともいえる線を捨て、新たな技法を試みた。 東京美術学校で、まず第一段階として、縦の線、横の線、斜めの線を繰り返し何百本も引く練習を行っていた、ということを考えると、当時いかに線を重要視していたか、そしてその線を捨てるということがどれほど大胆な試みであったかを知ることができるだろう。本作は、完全に描線を廃した、いわゆる朦朧(もうろう)体の作品とはいえないが、鳩や薊の一部には朦朧体による表現を見ることができる。
世間の好みに迎合することを潔しとせあず、自らの意志に忠実であった春草の評価が高まったのは、代表作《落葉》においてだった。しかし、《黒き猫》制作から一年の後、春草が属した在野の美術団体、日本美術院が日本画壇の主流へと転じる日を待つことなく、春草は37歳で早世する。