三友とは松竹梅のこと。古くより吉祥的な題材として描かれてきたが、一方で厳寒の季節に枯れるどころかますます勢いを盛んにするところから、汚濁にまみれた世の中を堪え忍ぶ高士や士大夫たちの姿の象徴(ないしは理想像)としても絵画化されている。
本図はわが国で制作された三友図としては現存最古となるもので、賛者5名―岳林聖嵩(がくりんしょうすう)・惟肖得巌(いしょうとくがん)・玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぽう)・大愚性智(だいぐしょうち)・古幢周勝(ことうしゅうしょう)―の動向などから、応永20~27年(1413~20)頃の作と推定できる。また本図制作の場として、当時、南禅寺にいた賛者のひとり、玉畹(1348~?)を中心とする詩友の集いも想定されている。雪中にすっくと立つ2本の松とそれに寄り添うように配される梅竹の姿が黒々とした墨調をもって捉えられているが、こうした手法は「柴門新月図」(藤田美術館)など同じ応永期の詩画軸の中に散見される特徴である。