大友月湖(おおともげっこ)(生没年不詳)は熊斐門下の長崎派(南蘋派)の画家。中国風に「沈清」「沈月湖」とも名乗っていることからもわかるように、沈南蘋の画風を受け継ぐ絵師という意識をもっていたのは確かだが、伝記は不明な部分が多い。京都に移住していた時期もあったようだが、天明4年(1784)に長崎に戻っている、その後の動静については不詳。
画面に戯れている虎たちは、細密な毛描きが施されているが、それとは対照的に松樹や岩の皴法はエキセントリックな装飾性を醸し出している。沈南蘋風写実表現の特異な発展形としても注目できる怪作。右隻に「瓊浦沈月湖」 左隻に「丙戌孟冬写瓊浦沈月湖」という款記、各隻に白文方印「沈清之印」 朱文方印「月湖」 を捺す。