椿貞雄(1896-1957)は山形県米沢市に生まれる。画家を志して上京。岸田劉生の個展を見て、その作品に感動し劉生を訪ねる。草土社の結成にも参加。その後、劉生とともに、デューラーやファン・アイクら北欧ルネサンスの画家たちに学んだ写実から、中国宋元の院体画に目を向けるようになる。1929(昭和4)年の劉生の死後、渡欧、次第に劉生の画風から離れる。本作品を制作した時期には、新たに南画を油彩画に取り入れる試みも始めている。
本作品は、第21回国画会展出品作。横長の画面に、赤い唐辛子を中央にして、左に冬瓜、右に南瓜を並べて描いている。暗く単純化された背景の前の野菜は、独特の存在感を持っている。生涯を通じて写実を追求していった椿の50代前半の静物画。画面右上に「昭和廿二年/椿貞雄写」のサイン。裏面には「昭和廿一年十二月廿一日早朝/より描き始む/冬瓜南瓜図/昭和廿二年/椿貞雄写」と記載がある。