鯨の歯と思われる材を使い、蓮葉の裏面に乗る小さな蓑亀を表した根付。蓮葉の縁が波打つ様子を写実的に表現し、また蓮葉の葉脈も写実的に浮彫で表現する。蓮葉の裏面に紐を通す穴をあけ、紐が亀の胎内を通るように工夫している。
裏面に以下の文字が刻まれている。
干時寛政壬子年也
富春六十歳而彫刻
石見州可愛河青陽堂
銘によると、寛政4年(1792)富春(1733-1811)数え年60歳で制作したことが分かる。可愛河は現在の江の川である。富春の住まいは、江の川沿いの嘉久志(現在の江津市)にあった。青陽堂は富春の俳号。
富春は本名清水巌。石見根付の創始者である。出雲玉造で生まれる。江戸に出て木彫を学び、嘉久志に移り根付師として活躍する。富春の根付には長文の銘を入れたものが多いが、これは他の地域の根付師達にはあまり見られず、石見根付を特徴づけるものとなっている。
石見根付は、石見地方で活躍した創始者の富春から娘の文章女、孫の巌水という系譜で受け継がれて、その後数多くの石見派の根付師たちが活躍している。石見根付の研究は国内よりもむしろ海外で盛んであるが、ハル・グランディ著『Iwami Carvers』では35人を、またジョージ・ラザーニック著『Netsuke & Inro Artists』では70人を石見派としている。