かつて東寺に伝来した十二天面で、そのうちの7面が京都国立博物館の所蔵となっている。また、これらと一連のものであったと考えられる面が、ハワイのホノルル美術館に2面所蔵されている。
十二天とは八方位と天・地、日・月をつかさどる天部たちで、いずれも源流をたどるとヒンドゥー教の神々に由来する。わが国の現存作例からみると絵画としてあらわされたものが多く、仮面はきわめて珍しい。東寺では当初灌頂会(かんじょうえ)にさいしてもちいられ、のちに修理されて塔の供養会に転用されたものらしい。京都国立博物館が所蔵する7面は、菩薩像のような穏やかな表情をうかべる慈悲相をした本面および日天・帝釈天がキリ材、老相の風天・火天と忿怒相の毘沙門天・伊舎那天(大自在天)がヒノキ材で作られている。表情に動きがあり深く彫りこむ必要がある老相・忿怒相面と、浅い彫りの慈悲相で材を使い分けているのかもしれない。
10世紀の終り頃から、仏師定朝(じょうちょう)の父である康尚(こうじょう)によって仏師の組織化がなされ、その工房を中心に端正な姿の仏像が製作された。本面は作風からみて、その時期に造像された彫刻作品との共通性が高く、長保2年(1000)に東寺宝蔵の火災の際に取り出されたと記録にのこる十二天面にあたるもの、と考えられる。