1950年代、アンフォルメル絵画の全盛期に美術の道を志した齋鹿は、鳥の子和紙にカーペンターペンシルを用いたモノクロームの緻密な画面構成によって知られている。鉛筆の顔料を定着させるために、和紙に膠と白亜粉、岩胡粉によって作られた下地の上に、数種類の堅さの鉛筆で描いては白亜粉を重ねるというプロセスを要する。結果、白と灰色の微妙なグラデーションによる画面が現れている。一方その細部は細胞や血管を彷彿とさせる有機的なかたちで埋め尽くされており、齋鹿の膨大な作業量とそこにかけられた時間に圧倒されると当時に、常に変化し増殖しつづける都市の相貌、あるいは二度と同じ形をもたない波の表情を見る者に思い起こさせる。