大根を釈迦に見立て、入滅を嘆き悲しむ菩薩や羅漢、動物・鳥をさまざまな京野菜や果物で、そして沙羅双樹を玉蜀黍(とうもろこし)であらわした見立て涅槃図。もと京都・誓願寺の什物だった。
この画について、涅槃図のパロディというレベルでしばしば語られるが、そうではない。伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)(1716~1800)は、相国寺に「動植綵絵(さいえ)」30幅を精魂こめて描き贈るほど敬虔な仏教徒であった。この見立て涅槃図についても、安永8年(1779)の若冲の母の死を契機とし、母の成仏と家業の繁栄を祈ったものとみる説が出されたが、この説をとるべきだろう。もちろん、若冲が京都・錦小路の青物問屋の跡継ぎとして生まれ育ったことと無関係ではない。
ユーモラスな表情をみせながら、活気に満ちた大画面。コクのある中墨の面と線、潔い濃墨のアクセント。若冲は、「動植綵絵」のような着色花鳥画ばかりでなく、水墨画にも新しい境地をひらいたのだった。
このほか京都国立博物館には、若冲作品として伏見・海宝寺(かいほうじ)旧蔵の障壁画「群鶏図」、「石燈籠(いしどうろう)図屏風」、「石峰寺(せきほうじ)図」、「乗興舟(じょうきょうしゅう)」などが所蔵されている。