松谿(しょうけい)(生没年不詳)の伝歴は不明だが、画風や賛者の没年などから判断して、15世紀半ば頃を中心に活動した画僧であったと推測される。遺作には「布袋図」(京都国立博物館蔵)や「寒山拾得図」(徳川美術館蔵)などの道釈人物画もあるが、最も得意としたのは山水画であったようだ。本図はその好例となるもので、明るい広々とした山水景観が絶妙な構図感覚とデリケートな筆遣いをもって見事に描出されている。随所に引かれた金泥の霞も効果的で、画面にいっそうの華やぎをもたらしているといえよう。彼の先輩格(あるいは師か)、周文(相国寺の僧で、室町幕府の御用絵師)の山水図が備えていた都会的(京都的)な雰囲気を一段と進展させ、磨き抜いたといった感じである。
賛者の翺之慧鳳(こうしえほう)(?~1465頃)は入明経験をもつ東福寺の僧で、雪舟あたりとも交流があった。この賛では、図の景観を彼が中国遊学の際に訪ねた杭州西湖の光景と重ね合わせている。