川舟を浮かべる隅田川を大きく配し、弓なりにはるかに続く隅田堤(づつみ)、一段低く左に三圍稲荷(みめぐりいなり)社の鳥居と参道を描く。奥に見える鳥居は牛の御前と呼ばれた王子権現社。川をはさんで右は隅田川左岸で、真乳山(まっちやま)からはじまり今戸橋を描き、今戸瓦焼の窯から立ち昇る煙を描写する。陽射しを受けてきらめく水面、川風の吹く堤、小梅村の田の中に立つ三圍社界隈の空気と光を、陰影をつけた銅版画の描線と、爽快な青の筆彩で表現している。本図は、江漢が蘭学者大槻玄沢の力を借りて『ショメール(蘭語訳の日用家庭百科事典)』『ボイス(科学技術事典)』の内容を訳読し、工夫を重ねて完成させた日本最初の腐蝕銅版画(エッチング)と考えられている。実像や文字を左右逆に表現しているのは、絵をいったん鏡にうつして見る反射式のぞき眼鏡に付属した眼鏡絵(めがねえ)であるため。