スンビン山は、インドネシアのジャワ島中部の有名な山。円錐状の山容に富士山の面影を重ねる日本人は多い。横浜出身の森錦泉(本名、森吉五郎)は、1913年にジャワへ渡り、翌年、写真館を開業した。そのかたわら、この作品のような風景を湿潤な大気とともに描き出している。こうした理想的なジャワの風景は、後にインドネシアの現実を直視した表現を目指す近代画家たちから批判されるが、一方でインドネシア人の原風景として近代美術の基盤になった。作者は、日本の軍政監本部で働いた経歴から、終戦とともに日本へ強制送還されたが、再びジャワ島へ戻り、同地で亡くなった。生涯の大半をジャワ島で過ごしたため、日本の美術史に足跡を残すことはなかった。