本名関一。はじめ片岡公曠に、のちに竹内栖鳳に師事して四条派の絵画を学ぶ。また、中国古典への造詣も深く、南画も能くし、豪放華麗な独自の南画表現を創出。1934年帝室技芸員。翌35年には帝国美術院会員。中国をたびたび訪問する一方、ヨーロッパ各地も歴訪して、古今東西の美術に通じる広い学識を修め、格調の高い画風を展開した。
「師とするものは支那の自然」と、たびたび中国を訪れた関雪は、中国の風物や故事、歴史などに取材した作品を多く描いています。この作品も、出典は明らかではありませんが、山中に隠棲する高徳の人物に中央政治への参画を勧誘するという中国の故事に因んだものです。右隻には岩の上に対座する二人の人物。左が隠者、右はしきりに説得している訪問者です。真剣な問答が続いているのでしょう。張り詰めた空気が伝わってくるようです。左隻には訪問者を乗せてきた牛車と従者が描かれています。人物などは端正な四条派の描法で、木々や岩の描写は動きのある闊達な線描を多用して南画風に、また、量感あふれる牛の描写には西洋絵画の技法も取り入れています。異なる画法を見事に融合させたこの手腕は、古今東西の美術に通じた関雪ならではのものです。
(寸法)
各193.0×372.0cm