立花家初代、戸次道雪所用といわれる伝説の名刀。もとは現状よりも刀身が長く「千鳥」と号された太刀であったが、尻の方から大磨上して、今は脇指となっている。刀身の先の反りが強い輪反り風の姿に、往時の姿を偲ばせる。「雷切丸」の名の由来は、―道雪が大木の下につくった御涼所で昼寝をしていたところ雷が落ちてきた。そこで枕元に立てていた太刀「千鳥」を抜いて雷を切り素早く御涼所を立ち退いた。その後足が痛みだし出陣するにも輿を使用するほどであったが、御勇刀を佩いていたので並の武者よりも活躍した。よってこの勇刀を「千鳥」から「雷切」と改号した―という。刀工については、宝暦九年(一七五九)六月に、本阿弥が「相州物の由」と鑑定している。