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鬼塚吉国は奥州南郷(棚倉)の刀工であったが、宗茂の柳川再封に従い、家老の由布壱岐を頼って柳川へ移住したと伝えられる。初代鬼塚吉国は天正二年(一五七四)生まれとされるため、「筑州柳川住鬼塚吉國」と銘を切る本脇指は、初代吉国の四十代後半以降の作とみられる。刀身を見ると、板目が流れる鍛肌に、細直刃の刃文が大丸に返る。鬼塚派は直刃調の刃文が多く、肥前忠吉の系統といわれることもある。
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