南蛮とはポルトガル船等で舶載されたことによる名称であり、毛織とはインドのムガール帝国の名をモールと訛ったことによるといわれ、もともとは染織品の名称であったが、茶の湯では部分的に金属を使用したものでも毛織と称した。
抱桶とは水を入れて手許に置き、暑さをしのぐために抱いたものであるという。本体を打ち出しで成型し、彫り紋し、口縁と三つの丸い足を付けている。
口縁に「ORIENTAL」等のアルファベット文字が四ヶ所に刻まれている。
比老斎の箱書によれば足利義政が所持したものと伝えられ、のちに三条西実隆が藪内宗把にこれを譲ったが、宗把に嫡子がなく、宗把は利休に引き渡した。利休から藪内剣仲が引き継ぎ、燕庵名物として六代比老斎まで伝来したが、西本願寺文如上人に贈られ、以後は本願寺に伝えられたという。
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