昭和5(1930)年に、岐阜県可児市の牟田ケ洞古窯跡で桃山時代の志野茶碗の陶片が発見されます。新たな陶磁史が判明したことで、人々の古陶磁への興味が高まります。各地のつくり手たちは桃山陶に魅せられ、古典復興に取り組むようになりました。信楽でも古信楽の復興に熱い眼差しを向けた二人の陶工がいました。三代高橋楽斎(1898~1976)と四代上田直方(1898~1975)です。彼らによる桃山陶器風の焼締陶器は「へちもん」と呼ばれ、地元ではほとんど注目する人はいなかったといいます。二人はあきらめずに技法の再現に取り組み、その独自の信楽焼の制作により、昭和39(1963)年、滋賀県指定無形文化財信楽焼技術保持者に認定されました。二人の活躍は後進たちにも影響をあたえ、1970年代に入ると、信楽では、古信楽の伝統技法を受け継ぐ多くの作家が活躍するようになりました。