白い衣を纏って岩座の上に趺坐(ふざ)する円窓の観音菩薩の図である。茸状の岩座の傘の左下側に「正悟(しょうご)」と読める、隠し落款風の款記があり、元時代の禅林水墨画では数少ない作例として知られる。
白衣観音の図像は、頭から帛(はく)を被り、体に衣を纏って、居所とされた補陀落山(ふだらくせん)の岩窟で寛いだ姿で表されることが多い。簡潔にして清新なその造形は、羅漢像とともに禅林でとくに好まれた画題であった。
本図の観音の描法は、衣文に濃墨の鉄線描を用い、内側に薄く隈を付けて帛や衣の滑らかな質感を出す。観音の頭上に頂く宝冠(ほうかん)や胸部に懸けた瓔珞(ようらく)、そして岩座の端にある楊枝を挿した水瓶といった数少ない景物は、均一な輪郭線で精緻に描く。
その一方で、背景となる岩座や水流は淡墨を交えた粗放な筆で描いている。とくに岩座は書の飛白体(ひはくたい)の筆法を応用して、文人画風の粗放な描写に徹する。こうした描法の対比は、礼拝絵画にとどまらず、絵画としての鑑賞性を高めている。
賛者の雲外雲岫(うんがいうんしゅう)(1242~1324)は、曹洞系の宏智(わんし)派の禅僧で、東明慧日(とうみょうえにち)は法弟にあたる。晩年の至治年間に、明州慶元府(浙江寧波)にある天童山景徳禅寺の住持をつとめており、本図はこの頃に着賛されたものである。