ポン=タヴェンは、ケルト民族の伝統を継承した文化や風習を色濃く残した、ブルターニュ地方の小さな村で、1860年代以降、多くの画家たちがこの場所に魅了されていた。1886年に初めてこの村を訪れたゴーガンもまたこの村の魅力に惹かれ、86年から94年の間に4度滞在している。
本作は、ゴーガンの2度目のポン=タヴェン滞在時に描かれており、印象派の要素を残しつつも、より革新的な構図と色彩への変化を見て取ることができる。画面右を上下に貫く木の幹が印象的で、歌川広重の浮世絵を彷彿とさせる。本作の構図にとって重要な構成要素ともなっているこの木は、じつは1938年以降の所有者によって塗りつぶされてしまっていた。近年修復によって元の姿を取り戻しているが、この木を消すことにどのような意味があったのか、改変者の意図は不明である。描かれている場所では、19世紀末から20世紀初頭にかけて川の浚渫が行われていた。右奥には赤い茅葺き屋根の建物があるが、その前の道には川の浚渫で出た土砂が積まれているのがわかる。また、画面左にある丘も山肌があらわになっており、道路として造成中であることがわかる。現在このあたりはボートを係留する船着場として利用されている。
この絵を描いた年の10月、ゴーガンはゴッホの誘いをうけてアルルを訪れ、ゴッホとの共同生活を行う。二人の共同生活は2ヶ月で悲劇的な終わりを迎えるが、やがてゴーガンは、目に見える世界を描写する印象派のスタイルを脱却して、人間の原初の姿にやどる精神的な実在を、単純化された色彩とフォルムの調和によって描き出す独自の様式を創造していく。