黒田清輝がフランスに滞在中、サロン出品のために制作したが惜しくも落選した作品。帰国後の黒田は新設の西洋画学科初の指導者となった。
法律を学ぶために渡仏した黒田清輝がやがて画家を志すようになり、その滞欧中に制作した作品の1つである。これに先立ち、師ラファエル・コランに賛辞を得ていた《読書》がフランスの官展サロンの入選を果たし、黒田は次の出品作としてこの大作に意欲的にとり組んだ。モデルはこの頃よく描いたマリア・ビヨ―。黒田が好んで滞在したパリ近郊のグレー村で制作された。全体が青灰色の柔らかな調子でまとめられ、モデルが男物の上衣を羽織っているのが印象的である。実はこの上衣の黒は、赤と青系の絵具の混色で得られた色である事が近年の調査で指摘されている。黒の絵具をなるべく使用しない〈紫派〉の特徴がここにも表れている。「黒田さえ帰ってくれば日本の洋画は一新する」とは先達、山本芳翠の言である。その言葉通り、帰国後の黒田は新設の東京美術学校西洋画科初の指導者となり、白馬会を結成するなど明治後期の洋画壇に新風を巻き起こしていく。(執筆者:左近充直美 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)