静かな所作の黒衣の婦人像である。その色彩の重厚さとは裏腹に顔と手、右目と左目の対比が軽妙な筆遣いで描き分けられている。
黒田清輝の推挙を受け、本学西洋画科助教授となっていた藤島は、明治38年(1905)38歳の時に文部省派遣留学生としてフランス、イタリアに渡る。本作はこの4年に亘る留学のうち、後半の約2年間をイタリアで学んだ時に描かれた。藤島は当時のローマで肖像画の大家として知られていたカロリュス・デュランに師事し、アカデミックな油画技法を習うが、それが本作の絵の特徴にも表れ出ている。おそらくはじっくりと時間をかけて描かれたものであろう。モデルと背景の関係、明暗部の調子の変化、顔と手の描き分けなどあらゆる視点での描写を入念に試み、全体のバランスに集約させている。こうした藤島の絵画研究における姿勢は柔軟で、かねてから目指していた装飾風の画の傾向をここでは抑えつつ、あくまで基本に忠実に徹しようとしているのが読みとれる。こうした試みを経た藤島の婦人像は、その後装飾性や浪漫的嗜好を加え、独自の画風へと進展をとげる。(執筆者:左近充直美 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)