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荻原碌山1910

東京藝術大学大学美術館

東京藝術大学大学美術館
台東区, 日本

パリでロダン芸術の真髄にふれた碌山の代表作であり、これが絶作となった。日本の次世代を担う彫刻家たちに碌山が与えた影響は大きい。

 長野県穂高町に生れる。上京し不同舎に入門したのち渡米、ニューヨークで高村光太郎、柳敬介と知り合う。油画を学んでいたが、明治37年(1904)パリでロダンの《考える人》に接し衝撃を受け、彫刻家への転向を決意する。ロダンとの対面を果たし、イタリア、ギリシャ、エジプトを経て明治41年に帰国した碌山は、西洋彫刻の表面的な模倣に終わらない作品制作を目指す。相馬夫人黒光との恋愛に苦悩しながら作られた《女》は、黒光の面影そのものであるという。造形的には、日本女性の体型バランスを考慮しポーズにすることで、しっとりした情感が引き出されている。同時に、豊かな量感、動勢を生み出しながらも安定を保つ全体の構成力はロダンに学んだ碌山ならではのもので、高村光太郎と共に日本の近代彫刻史に再現描写を超える表現をもたらした。明治43年、30歳で急逝し、絶作となった《女》は、第4回文展に出品され文部省買上げとなった。(執筆者:島津京 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)

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