人見弥に絵画の初歩を学んだ松下春雄は、1921年に上京し、岡田三郎助が開設した本郷絵画研究所に学ぶ。1923年、郷里名古屋で鬼頭鍋三郎らと「サンサシオン」を結成し、若手画家の研究と発表の場を作る。「サンサシオン」とはフランス語で「感覚」を意味する。
松下は、はじめ水彩画を得意とし、みずみずしい詩情にあふれる作風で1924年第5回帝展に初入選した。水彩での帝展入選はあまり例がなく期待されたが、1928年頃から油彩に中心を移した。1931年第12回帝展で特選となったこの作品は、松下の油彩画の代表作のひとつである。自然を背景とする女性像は、昭和初期の帝展で好まれた。松下の油彩画は、 堅固な描写で人物や背景の量感を出しているが、色彩に乏しく暗い。多彩で明るい水彩画 とあまりにも異なる油彩画の印象は、しかし、ふたつの技法の違いを知る松下の意図するところだった。油彩では、正確な対象描写の次に、色彩への取り組みがある。その兆しが見えたころ、松下は30歳の若さで白血病で逝く。道なかば開花まぎわの惜しまれる死であった。
(出典: 『名古屋市美術館コレクション選』、1998年、p. 109.)