世界各国の男女が2O組、洋風表現で描かれている。南蛮(なんばん)貿易やイエズス会によるキリスト教の布教活動によって、日本は室町時代末期にヨーロッパ文化と接触した。その結果、それまでにはなかった図像や表現の美術作品が生み出されるようになった。
世界地図と各国の人物図を組み合わせた屏風は、そうした南蛮趣味を反映した絵画のひとつで、焼失したものも含め3O点程度が確認されている。初期的な作品は、キリスト教の教義や大航海時代のヨーロッパの世界観を示すものとして、セミナリオなどのイエズス会の教育施設に関係して制作されたと考えられる。日本人画家によって屏風形式の画面が生み出され、教会外の社会に普及したのは、世界全体を表す新奇な図様が武家階層などに好まれたためであろう。この屏風は、そうした「世界地図・万国人物図屏風」の一部をなすもので、制作当初はさらに20組の男女や世界地図と組み合わされていたかもしれない。色彩に若干の違いはあるが、図像や配置は先行作品を忠実に写しており、江戸時代に入ってからの制作である。華やかな南蛮美術の時代はしかしながら長続きせず、キリスト教の禁教と鎖国政策によって幕を閉じる。
【ID Number1987B01179】参考文献:『福岡市博物館名品図録』