女学校1年生だった太田節子(おおた せつこ)さん(当時12歳)は、建物疎開作業※の現場で被爆しました。母親のヨシミさん(当時40歳)は、すぐに節子さんを捜しに向かいました。節子さんは、作業現場近くの川土手に、同級生らとともに倒れていました。まっくろに焼け、下着についていた名札で、やっと見つけることができたのです。しかし、欲しがっていた水をさがす間に、節子さんたちは亡くなっていました。ヨシミさんは、他の保護者たちとともに子どもたちの遺体を自分で焼き、遺骨を持ち帰りました。これらは、当日節子さんがもっていたものです。