平安末期 仁平の頃、近衛天皇は毎晩、何物かにおびえ気を失った。
高僧・貴僧が呼ばれるも、何の効果もない。さては、変化のものの仕業か。
勅命を受けた「源三位頼政」は、二矢を持参し、家来の「猪 早太」とともに妖怪退治に向かった。
真夜中 丑の刻、東三条の森から 黒雲がたち、御所の上にたなびいた。
雲の中に怪しげなものがいる。 頼政は“南無八幡大菩薩・・・・”と念じながらヒョウと矢を放った。 手応えがあった。早太がとどめをさす。 妖怪の正体は頭が猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎の姿の「鵺」であった。
弓の名手であった頼政は、歌人としても藤原俊成に激賞されたほどで、文武両道の武将としても知られている。