源義朝の子、義平は通称を悪源太と言った。「悪」とは強いと言う意味で、武勇のすぐれた義平に「悪」をつけて呼んだ。平治の乱に破れた義平は、再起をかけ北陸を目指した。しかし、父義朝の死を知り密かに上京した。
平家滅亡を企て、六波羅付近を窺っていたが、逢坂山に潜んでいるところを捕らえられ、白昼京都六条河原で難波経房の手により斬首された。
義平は百日以内に必ず雷神となって現れると言い残し絶命した。
そしてある日、経房は出家した平清盛の一門と共に摂津の布引の瀧に遊覧に出掛けたところ、一天俄かにかき曇り義平が雷神となって現れ、雷明を放ち経房に飛来した為焼死してしまった。
こうして、義平は本懐を遂げたのであった。