1920(大正9)年の劉生日記にはこの《麦二三寸》のことが何度かでてくる。弟子の椿貞雄の家の近くにひろがる麦畑と「紫にかすむ空と林の木等素敵」だと書いたのは2月17日のことで、3月11日には「今日は風景の中に麗子を加へんとて」可愛いい盛りの麗子を連れていった。どのあたりに麗子を立たせれば絵がすっきりするのか、あれこれ考えたことだろう。完成したのは3月16日で、この日は風が強かったらしいが、その気配は画面にあらわれていなくて、むしろ全体は穏やかに晴れわたり、その風景全体をひきしめる役目を帯びた童女の赤い装束を点出させることで、その春めいた雰囲気をさらにのびやかなものにしている。かつての誰もがうなった画面を押しあげてくるような強さの感覚はここで影をひそめているのは、生命の力そのものよりも、麦や道や森を包むようにしてそこにある空気を描きだそうとしているからだろうか。口では嫌っている印象派の作品に似ているのがおかしい。