大正12年(1937)頃に、京都府宇治市木幡金草原の茶畑から出土したと伝えられる。出土地は、かつて藤原道長(966~1028)が一族の菩提寺として浄妙寺(じょうみょうじ)を建立した場所の近傍であり、付近一帯には藤原北家一門の墓地が広がっていたと推測される。出土品であるにもかかわらず、ほぼ完全な形をとどめているのは、藤原北家一門の誰かの墳墓に副葬されていたからだろう。形態や釉薬の色調などの形質的特徴から判断して、五代から北宋時代の初め頃に中国浙江省(せっこうしょう)の越州窯(えっしゅうよう)で焼かれたものとみられる。
平安時代に書かれた『宇津保物語』や『源氏物語』には、「ひそく(秘色)」という言葉が出てくるが、『源氏物語』の注釈書である『河海抄』によると、秘色とは中国の越州からもたらされた緑色の磁器であるという。『源氏物語』とほぼ同時代のものであることを勘案するならば、平安時代に「ひそく」と呼ばれていたのは、この青磁水注のような焼きものであったと考えられる。