坪内逍遥(1859–1935)は、美濃国加納藩(現・岐阜県岐阜市)生まれ。小説家・評論家・劇作家・翻訳家。十人兄弟の末子として生まれ、幼少より漢学や俳諧、和歌に親しんだと伝えられます。東京大学在学中には西洋文学を学び、岡倉天心は学友の一人でした。1885年の評論『小説神髄』と小説『当世書生気質』によって、日本近代文学の基盤を築いた人物の一人とされます。
演劇分野でも功績が大きく、西欧化の急速に進む時代にあって、古典演劇の再評価と日本演劇・舞踊の近代化の方向性を示しました。シェイクスピア研究を中心とする西欧演劇の翻訳・紹介、文芸協会を通じた演劇・舞踊の研究と教育実践、そして晩年には私費を投じて早稲田大学に演劇博物館を創立しています。また『桐一葉』(1904)、『新曲浦島』(1907)、『寒山拾得』(1911)、『お夏狂乱』(1914)など新作歌舞伎を手がけ、六代目尾上菊五郎や市川團十郎の振付師であった二代目藤間勘右衛門が演出を担当した作品も多くありました。さらに文芸協会では、勘右衛門の右腕であった藤間勘八らを舞踊講師に迎えています。
なお「日本舞踊」という用語は逍遥を中心に生み出されたもので、単なる伝統の称揚や古典の否定ではなく、上記のように、逍遥らの豊かな古典知識や歌舞伎舞踊を背景とし、将来の日本の舞踊の方向性を見据えた当時最先端の概念であったことを付言しておきます。