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生来の風景画の詩人であるコローは、また人物画の名手でもあった。
40歳を過ぎた頃から、知人の娘や友人の子どもたちをモデルに肖像画を描いていたが、1850年頃よりコローの人物画に変化が見え始める。綿密に細部まで描かれることはなくなり、個人的なモデルの特徴をとどめるものも失われていく。コローの描く人物像は、「寓意性」が強められ、芸術の本質を詩的に想起させようとする試みに結び付いた「象徴性」を帯びるようになる。
一方、このような人物が置かれる風景は、特定の場所ではない架空の、また普遍的な自然そのものの雰囲気を醸し出す背景として描かれる。画面はロマンティックな夢想と、夢見るような憂愁に満たされ、詩的で静謐な空気に包まれた世界となった。とくに晩年は、リューマチの発作に悩まされ、戸外での風景写生が制限されたこともあって、屋内でモデルに人物画のポーズをとらせることが多くなった。1860年代後半の絵画がそれである。
うつむいた少女のほぼ全身を左斜め前方から捉えた本作の構図は、ウィンタートゥールのオスカー・ラインハルト・コレクションにある《読書する羊飼いの少女》(1855ー65年頃)に大変良く似ている。しかし、全体に漂う詩的で瞑想的な雰囲気は、本作の方においてより深まりを見せている。
コローはここで、モデルの背後に、数本の黒褐色の細い線と2つの小さな黄土色のタッチを描き加えている。コローの風景画を知る者にとって、この記号のような微かな線とタッチが何を意味するかは一目瞭然である。樹木の幹か枝か、その梢の向こう側に望まれるのは古城か、周囲の空気を震わすかのような「森の生命」である。これこそ彼が最も得意としたライト・モティーフであり、生涯に幾度となく描き続けた形態であった。瞑想的な人間像として描かれる〈メランコリア〉(憂鬱質)は、芸術家そのものを意味することから、本作は「芸術の象徴」として描かれた寓意像とも解釈することができる。

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