ゲオルク・エーレット

1708/01/30~1770/09/09

ゲオルク・ディオニシウス・エーレットは、ドイツの植物画家、植物学者、昆虫学者である。
ハイデルベルクで生まれた。父親の死後、母親がハイデルベルク選帝侯の庭師と再婚したことから、ハイデルベルクの近くに庭師の見習いになった。ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァインマンと知り合い、ヴァインマンの『花譜』の図版も一部描いたが、報酬の支払いを巡ってヴァインマンと仲たがいし、イギリスへ移住して活動をはじめ、ヨーロッパで有名な植物画家の1人に数えられるようになった。1735年から1736年の間に、博物学者のカール・フォン・リンネとオランダの銀行家でオランダ東インド会社のジョージ・クリフォード3世に雇われて最初の博物画を描いた。ハールレムの南のクリフォードの屋敷でリンネの『クリフォート邸植物』の図版を描いた。これは初期の植物画の傑作とされている。1757年にロンドン王立協会のフェローに選出された。
エーレットの原画は、ロンドン自然史博物館やキュー植物園、王立協会やエアランゲン大学博物館に保存されている。
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