ジョン・フォスター・ダレスは、アメリカ合衆国の政治家。ドワイト・D・アイゼンハワー政権で第52代国務長官を務めた。ジャパン・ロビーである。1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、それと同じ日に調印された日米安全保障条約の「生みの親」とされる。反共主義の積極的なスタンスを主張した冷戦時代の政治家であった。インドシナでベトミンと戦うフランスの支援を主張し、1954年のジュネーブ会議では握手を求める中国の周恩来国務院総理を拒絶した。サンフランシスコ講和条約発効以降国際社会に復帰したばかりの日本にとっては、強い反共主義者である「ダレスの親父さん」の意向は無視できないものがあった。