ミラード・フィルモア

1800/01/07~1874/03/08

ミラード・フィルモアは、アメリカ合衆国の政治家、弁護士で、第12代副大統領および第13代大統領。大統領の死に際して副大統領から昇格した2人目の大統領で、ザカリー・テイラーがコレラで死去した後の大統領職を継いだ。フィルモアは米墨戦争の間に併合された領土に奴隷制度を導入しないという提案に反対し、1850年協定を支持し、同協定に署名した。その中には逃亡奴隷法も含まれた。インディアンに対しては徹底排除の方針を採り、1851年には「第一次ララミー砦条約」を締結させ、ミズーリ川以西の多数のインディアン部族からその領土を奪った。
外交政策においては日本との貿易を進め、ハワイを併合しようとするナポレオン3世と衝突、フランスやイギリスと共にキューバに侵入しようとしたナルシソ・ロペスの動きに対抗した。大統領職後はノーナッシング・ムーブメントに加わり、南北戦争の間にはリンカーン大統領に反対、レコンストラクションの期間にはジョンソン大統領を支持した。
フィルモアはバッファロー大学の共同設立者であり、バッファロー・エリー郡歴史協会の設立に尽力した。
日本史においては、ペリーを日本に派遣した大統領として記憶されている。幕府は正式にこれを受理した。このことで国際的に検討を必要としたので、日本は開国に向けて前進せざるをえなくなった。1854年の開国に繋がる要因となる。
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“It is not strange... to mistake change for progress.”

ミラード・フィルモア
1800/01/07~1874/03/08
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