義和団の乱は、1900年に起こった、清朝末期の動乱である。義和団事件・義和団事変・北清事変・北清事件・清国事変などの呼び方もあり、中国では戦争が起こった年の干支から庚子事変とも言われるが、本項では「義和団の乱」で統一する。
「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社義和拳教による排外主義の運動が展開された が、1900年に清国の西太后がこの叛乱を支持して6月21日に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった。だが、宣戦布告後2か月も経たないうちに、北京の公使館員や居留民保護のため8ヶ国連合軍が北京に進出し、大日本帝国が中でも最大の兵力8000人を投入した。