オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼンは、ドイツの政治家。
プロイセン王国首相、北ドイツ連邦首相、ドイツ国首相を歴任した。
ドイツ帝国の初代宰相を務めたドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相」の異名を持つ。
プロイセン東部の地主貴族ユンカーの出身。代議士・外交官を経て、1862年にプロイセン国王ヴィルヘルム1世からプロイセン首相に任命され、軍制改革を断行してドイツ統一戦争に乗り出した。1867年の普墺戦争の勝利で北ドイツ連邦を樹立し、ついで1871年の普仏戦争の勝利で南ドイツ諸国も取り込んだ統一ドイツ国家「ドイツ国」を樹立した。プロイセン首相に加えてドイツ国首相も兼務し、1890年に失脚するまで強力にドイツを指導した。文化闘争や社会主義者鎮圧法などで反体制分子を厳しく取り締まる一方、諸制度の近代化改革を行い、また世界に先駆けて全国民強制加入の社会保険制度を創出する社会政策を行った。卓越した外交力で国際政治においても主導的人物となり、19世紀後半のヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築した。