ヨハネス フェルメールの人生と作品

絵画芸術(1666/1668) - 作者: ヤン フェルメールKunsthistorisches Museum Wien

黄金時代の画家

ヨハネス フェルメール(1632~1675 年)は、17 世紀に活躍したオランダの画家たちの中でも「真珠(秀逸の意)」と評価されることの多い芸術家です。彼は、ネーデルラント連邦共和国の都市デルフトで生まれました。この時代のオランダでは経済的な隆盛が見られ、黄金時代とも呼ばれています。こうした好条件下で、絵画という芸術が発展したのです。フェルメールの『絵画芸術』は、彼の作品で最も重要な作品の 1 つです。画家という職業へのオマージュとして、この絵には繁栄したオランダの地図が描かれています。

デルフトの眺望(c. 1660 - 1661) - 作者: Vermeer, JohannesMauritshuis

若い頃のヨハネス
1632 年 10 月 31 日、レイニエル ヤンス(1591~1652 年)とディグナ バルテンス(1595~1670 年)はデルフトの新教会で子どもの洗礼を行い、「ヨアニス」という名をつけました。この小さな男児の名前は時代を超えて知れ渡り、絵画の巨匠、「光の魔術師」と呼ばれるまでになる運命がここからはじまったのです。洗礼を受けてから約 30 年後、ヨハネスは、いまや世界的に有名となった作品『デルフトの眺望』でこの新教会を描いています。

A Young Woman standing at a Virginal A Young Woman standing at a Virginal(about 1670-2) - 作者: Johannes VermeerThe National Gallery, London

ヨハネスとデルフト
デルフトはアジアおよびアメリカとの貿易の中心地で、繊維産業や陶器産業が盛んでした。中国の陶磁器からインスピレーションを得て、デルフトにある工場では青い塗料で装飾を施した白い釉薬の陶器(いわゆるデルフト ブルー)が生産されたのです。フェルメールは、『ヴァージナルの前に立つ女』の部屋に見られるように、室内画の作品にデルフト製のタイルを数多く描きました。

小路(Around 1658) - 作者: ヨハネス・フェルメールRijksmuseum

少ないが洗練された作品

現存するフェルメールの絵画はたったの 36 作品しかありません。彼は寡作で、最高級の絵の具を用いたことからも、ハイエンド市場に絵画を提供していたことがうかがえます。彼は生涯に渡って、裕福な芸術家ピーテル ファン ライフェン(1624~1674 年)に多くの作品を売却しています。ファン ライフェンの娘婿であるヤコブ ディシウス(1653~1695 年)が所有する絵画オークションでは、21 点の作品が販売されました。これらの作品には、有名な『小路』や『真珠の耳飾りの少女』、『レースを編む女』だけでなく、第 2 の『小路』のような現在は所在のわからない絵画が何点か含まれています。

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多才な父
ヨハネスの父レイニエル ヤンスは多才な人物でした。彼はカファと呼ばれるシルクサテンの織物職人として生計を立てていましたが、宿屋兼居酒屋の主人でもあり、画家のための商業団体であるデルフトの聖ルカ組合に美術商として登録していました。取引を行っていたのは画家の組合があった建物の近く、デルフトにあるフォルダースグラハト通りのデ フリーヘンデ フォス(飛ぶキツネ)と呼ばれる宿屋です。1641 年に一家は運河をさらに下ったハース メッヘレンに引っ越します。この新しい家で、彼は再び宿屋と美術商を経営しました。

View of the Market(c. 1720) - 作者: J. RademakerMauritshuis

父の足跡
1652 年に父親が亡くなると、20 歳のヨハネスは美術商と宿屋を相続しました。1 年後、聖ルカ組合で自身を「親方画家」として録しました。組合に属していた父親の経歴が、ヨハネスが画家を志すきっかけとなったのかもしれません。しかし、フェルメールがいつこの職業についてを学んだのかはわかっていません。

『メッヘレンの宿屋』、J. ラーデマーカー『市場の光景』(1720 年)より、デルフト市書庫

Woman Holding a Balance(c. 1664) - 作者: Johannes VermeerNational Gallery of Art, Washington DC

運命の出会い
ヨハネスは 1653 年 4 月 20 日に、カトリック信者の女性カタリーナ ボルネス(1631~1688)と結婚しました。カタリーナはマーリア ティンス(1593~1680 年)とレイニエル ボルネス(1674 年に死去)の末娘で、裕福な家庭に育ちました。プロテスタントであったヨハネスは結婚前にカトリックに改宗しましたが、その当時は珍しいことでした。ヨハネスとカタリーナには少なくとも 14 人の子どもがおり、そのうちの 11 人は父親よりも長生きしました。

マリアとマルタの家のキリスト(1654 — 1656) - 作者: ヨハネス・フェルメールNational Galleries Scotland: National

野心に燃える若い画家

フェルメールはそのキャリアの初期に、歴史を題材とした絵画を何点か製作しています。これらの作品で描いたのは、聖書や神話の伝説、あるいは文学の物語です。当時、歴史画は最も崇高で優れた絵画の形態であるとみなされていました。そして当然のことながら、これらの主題を理解し描くためには、それを読み解く教養が必要でした。

A Young Woman seated at a Virginal A Young Woman seated at a Virginal(Johannes Vermeer)The National Gallery, London

義理の母が持っていた絵画
フェルメールの初期の絵画は、大きなサイズと明暗の強いコントラストが特徴的です。彼は、カラヴァッジョのようなイタリアの巨匠に影響されたユトレヒトの画家たちに刺激を受けています。フェルメールの義母マーリアは、これらの作品を 3 点所有していました。キャリアの後半において、フェルメールは『ヴァージナルの前に座る女』の背景に義母が持っていた絵のうちの 1 つ、ディルク ファン バビューレンによる『取り持ち女』を描きました。当時の彼の作品にはユトレヒトの絵画様式は見られなくなっていましたが、かつてのインスピレーションの源が、この絵画にはそのまま描かれています。

牛乳を注ぐ女(Around 1660) - 作者: ヨハネス・フェルメールRijksmuseum

日常生活の一場面
1656 年以降、フェルメールは小規模な室内画の製作を始めるようになりました。これらのいわゆる風俗画は、日常生活を描いた作品が当時の家の装飾として使われることが多かったため、人気を博しました。この頃からフェルメールは、光の反射を示すために絵の具を厚く重ね、小さな点をその上にのせる描き方を用いるようになりました。

水差しを持つ女(ca. 1662) - 作者: ヨハネス・フェルメールThe Metropolitan Museum of Art

名声の確立
その後の数年間で、フェルメールは駆け出し画家から巨匠と呼ばれるまでになりました。1662 年には聖ルカ組合の理事に任命されています。彼は長い時間をかけて、自分の作風を確立しました。より薄い絵の具の層で、柔らかい光の表現と優しい輪郭を作品に描くようになったのです。

真珠の耳飾りの少女(c. 1665 (digitized by Madpixel)) - 作者: ヨハネス・フェルメールMauritshuis

トロニー
都市景観画、歴史画、寓話画、風俗画に加えて、フェルメールは数点のトロニー(人物の胸から上を描いた絵)を描いています。これらの絵は特定の人物の肖像画ではなく、ある「種」の人々の特徴を研究したものでした。フェルメールによる最も有名なトロニーは、『真珠の耳飾りの少女』でしょう。絵の中の少女はエキゾチックな服を着ており、異国風のターバンと不自然なほど大きな真珠のイヤリングを付けています。

A Young Woman standing at a Virginal A Young Woman standing at a Virginal(about 1670-2) - 作者: Johannes VermeerThe National Gallery, London

フェルメール晩年の活動
フェルメールが晩年に描いた絵は、より平坦な筆使い、様式化された画面構成、そしてシャープな輪郭が特徴的です。この時期は、絵画を売るのがより困難な時代でした。1672 年は「ランプイヤー(災厄の年)」として知られるように、フランス、英国、そしてミュンスターとケルンがオランダ共和国に対して一斉に宣戦布告し、経済的な繁栄は終焉を迎えました。フェルメールの美術商は、この苦難の時期を乗り切ることができなかったのです。

デルフトの眺望(c. 1660 - 1661) - 作者: Vermeer, JohannesMauritshuis

生と死
1675 年、ヨハネス フェルメールはわずか 43 歳でこの世を去りました。その死因ははっきりしていません。この約 10 年前に、自身が洗礼を受けた新教会を『デルフトの眺望』に描きましたが、この絵にはフェルメールの永眠の地、すなわち 1675 年に彼が埋葬された旧教会も描かれています。ヨハネス フェルメールが自身の肖像画を描いたかどうか、確実なことは誰にもわかりません。彼の創作活動と人生が融合していたこの街並みは、フェルメールという 1 人の人間に最も近づくことのできる作品なのかもしれません。

提供: ストーリー

この展示は、Google フェルメール プロジェクトの一環です。

ギガピクセル画像はMadpixelによってデジタル化され、Second Canvas Mauritshuisアプリの一部です

提供: 全展示アイテム
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