木工芸

作成: 立命館大学アート・リサーチセンター

立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学

木工芸 《栃拭漆嵌装小箪笥「水光接天」》(須田賢司 (1954-))立命館大学アート・リサーチセンター

日本人の生活は大昔から木と寄り添い、木を友とし、木の家に住み、木の道具を使うことで成り立ってきました。木工芸とは、文字どおり木材を材料とする工芸です。南北に長く四季のある日本では様々な樹木の生育に助けられ、建築や調度、什器として世界でももまれにみる技術の発達と独特の美を生み出しました。

木工芸 《木鉢》(奈良時代)出典: 東京国立博物館

古代から中世の木工品 -刳物、挽物、指物-

日本人が使った木工品の最古の例としては、兵庫県明石市西八木遺跡で5~6万年前の板状の木製品の出土品が知られています。また奈良時代の木製漆塗の東京国立博物館蔵の「木鉢」は木製の挽物でほとんど歪みもなく、形がよく整っています。

木工芸 《麻葉透桐袖障子》(江戸時代(18世紀後半~19世紀初頭)) - 作者: 小林如泥 (1753-1823)出典: 東京国立博物館

近世の木工品 -素木から銘木へ-

江戸時代になると木工技術が進歩します。製材技術の発達とともに箪笥や調度品に使われる樹種が増え、産地ごとの特徴も表れるようになる。すると銘木という概念が生まれ、木工品の価値も高くなっていきました。 この時代、作り手としてその名が知られている人物に小林如泥(1753~1813)がいます。有名な茶人でもあった松江藩主松平不昧公が育てた名工の1人です。如泥の作「麻葉透桐袖障子」はその中でも透かしの美しさが際立ちます。糸鋸のない時代にどのように作られたのか、その技術はいまだ謎に包まれているのです。

木工芸 《浪千鳥据文火鉢》(1901/1902) - 作者: 木内喜八 (1827-1902)出典: 東京国立博物館

明治から昭和の木工芸 -名工、名人の時代-

明治維新以降、廃藩置県、廃刀令などを経て、金工や塗師など多くの職人が職を失い、転職や廃業を余儀なくされました。木工に携わる職人たちも例外ではありませんでした。しかし、大型製材機の発達などにより山から運び出される樹種が増えたり、新しい建築も次々と建てられ、現代の木工作家につながっていく名人も多く生まれたのでした。

木工芸 《花卉木画箱》(西村荘一郎 (1846-1914))出典: 東京国立博物館

明治から大正期に活躍した人物に木内喜八(1827~1902)や西村荘一郎(1846~1914)がいます。木内喜八は寄木や象嵌が得意で、木画細工を家業としました。半古(1855~1933)は養父喜八から指物や象嵌細工を学び、半古の息子である省古(1882~1961)は2人の技を継ぎ、各国の博覧会で高く評価されたのです。西村荘一郎は長谷川治左衛門に木象嵌を学び、国内外の多くの博覧会に出品し受賞しました。

木工芸 『秋琴堂鑒賞餘興』(表紙)(明治14年) - 作者: 編集:山高信雄、出版:太田萬吉立命館大学アート・リサーチセンター

指物師から木工芸作家へ

指物師の地位が、作家へとかわるきっかけの一つとなったのが、近代の工芸デザインの導入です。木工芸を含む様々な工芸の意匠の図案に関わった太田萬吉は木工芸家というよりプロデューサー的な役目を果たしており、この時代から日本の指物師は木工芸作家へと変わっていったといえます。山高信離が編集し太田萬吉が明治14年(1881)に出版した『秋琴堂鑒賞餘興』には当時の工芸の様々な図案が集められています。

木工芸 『秋琴堂鑒賞餘興』(奥付), 編集:山高信雄, 出版:太田萬吉, 明治14年, コレクション所蔵: 立命館大学アート・リサーチセンター
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木工芸 『秋琴堂鑒賞餘興』, 編集:山高信雄, 出版:太田萬吉, 明治14年, コレクション所蔵: 立命館大学アート・リサーチセンター
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木工芸 《御蔵島桑進物盆》(1915) - 作者: 前田桑明 (1865-1942)立命館大学アート・リサーチセンター

御蔵島の桑と前田桑明

日本の近代木工芸の父ともいうべき存在が前田桑明(1871~1942)です。桑明は明治28年(1895)に京都で開催された第四回内国勧業博覧会に出品した桑製両面書棚が宮内庁御用品となり、独立を果たし、日本橋南茅場町に工房を構えました。

木工芸 《御大典に際し東京府からの献上品を制作する前田桑明と弟子》(大正3年)立命館大学アート・リサーチセンター

桑明とその弟子たち

前田桑明の工房では多くの優秀な弟子を抱え、大正と昭和の二度の御大典に際し献上品を制作しました。。白装束姿は献上品制作のための特別な服装です。

木工芸 《六角厨子》(昭和初期 (1927-30)) - 作者: 須田桑月 (1877-1940)立命館大学アート・リサーチセンター

須田桑月・桑翠・賢司三代の御蔵島桑厨子

正倉院宝物には「赤漆文カン木厨子」や黒柿両面厨子」など収納棚の名品があります。対して仏具としての厨子を御蔵島の桑を用いて、さらにその価値を高めたのが前田桑明です。その心は弟子の須田桑月、その息子の桑翠(1910~1979、そして、2014年に木工芸で人間国宝となった須田賢司(1954~)に受け継がれました。

木工芸 《桑翠作御蔵島桑夢殿型厨子》(1970) - 作者: 須田桑翠 (1910-1979)立命館大学アート・リサーチセンター

須田桑翠の作品は父桑月のものに比べると仏を包み込み、命を愛おしむような優美さがあります。

木工芸 《御蔵島桑厨子》(2005) - 作者: 須田賢司 (1954-)立命館大学アート・リサーチセンター

須田賢司の厨子の桑は父桑翠が最晩年に病を押して製材に立ち会ったもので、多様な金具の錺職も、森勝造や高梨幸吉に師事した後に、自ら手掛けるようになった賢司の見事な手技の結集です

木工芸 《須田桑月作の小鉋》(須田桑月 (1877-1950))立命館大学アート・リサーチセンター

現代に続く木工芸

須田賢司の手の中にある小鉋は祖父桑月が使っていたもので、刃は名鍛冶信吉の作とされています。賢司は、「一言『切れる』以外言いようがない」と著書に記しています。使い込まれた道具が持つ美しさです。

木工芸 《木工工具》, コレクション所蔵: 立命館大学アート・リサーチセンター
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木工芸 《木工道具》, コレクション所蔵: 立命館大学アート・リサーチセンター
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木工芸 《須田工房》立命館大学アート・リサーチセンター

須田賢司工房

江戸指物を支えた材木業は、江戸城の造営に従事した業者らが日本橋材木町に店をかまえたことにより始まりました。しかし、現代の東京の地価の高騰は材木商が木材を仕入れた後、長期保存して乾燥させて置く土地を所有するゆとりを与えませんでした。そういった事情を踏まえて、須田賢司が工房を構えたのが群馬県甘楽郡甘楽町です。材木は倉庫でゆっくり時間をかけて自然乾燥され、熟成され、彼の手により名品として生まれ変わります。

木工芸 《須田賢司工房》立命館大学アート・リサーチセンター

木工芸 《栃拭漆嵌装小箪笥「水光接天」》(須田賢司 (1954-))立命館大学アート・リサーチセンター

日本工芸の集大成 -木工芸-

指物の名品は日本の工芸の集大成とよぶことができます。工程や技術ひとつひとつが長い歴史に育まれてきたものです。日本の木工芸は用途に応じて様々な形で我々の生活に寄り添ってきました。豊穣のシンボルである樹木を使った木工芸の力。それを感じることで生命が持つ新たな力を得ることができるのです。

提供: ストーリー

資料提供&協力: 須田賢司、東京国立博物館

監修&テキスト: 井谷善恵(東京芸術大学)

編集: 京都女子大学生活デザイン研究所 小林祐佳(京都女子大学家政学部生活造形学科)、坂下理穂 (京都女子大学大学院家政学研究科)

英語サイト翻訳: 井谷善恵&川久保翻訳事務所

プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
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