作成: 立命館大学アート・リサーチセンター
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
桃山時代に生まれたとされる京七宝。江戸初期に建てられた京都の桂離宮の襖の引き手や釘隠しには七宝が使われていますが、当時はまだ一般に認知されるような技術ではありませんでした。本格的に制作されるのは明治になってからのこと。花瓶や香炉の一面全てを彩る有線七宝技術が伝わったのは江戸の後期、天保年間のことだったといいます。尾張藩士の息子であった梶常吉(1803~1883)が、オランダ渡りの有線七宝の器を解体して構造を明らかにし、そこから日本における有線七宝の製作が始まりました。
尾張で開発された有線七宝の技術は、明治のはじめ、京都に伝わります。当時、「泥七宝」と言われた通り濁って不透明な釉薬で彩られていた初期の有線七宝は、釉薬の改良をへて明治10年代以降はこのように美しい輝きを放つものとなります。お雇い外国人のゴットフリート・ワグネル(1831~1892)がその改良に大きな役割を果たしたといわれています。その著しい変化は、同じ七宝というのも憚られる程。光り輝く七宝の作品は、万国博覧会などを通じて世界中に広まり、今もなお多くの人々の心を掴んでいます。
七宝の製作行程
有線七宝とはどのように作られているのでしょうか。まずは、銅、銀、陶器などの胎器に下絵を施し、その下絵通りに銀線を植線、そこにガラス質の釉藥を埋め込んで焼成したのち研磨していきます。この見本の胎器には銅が用いられていますが、当時も銅製のものが一番多かったようです。一度に釉藥をたくさん塗ると焼成時に垂れてしまうため、一度に少しずつしか釉藥を入れられず、何度も何度も塗っては焼成、塗っては焼成という行程を繰り返す、大変技術と根気が必要とされる技法です。この製作工程は大変複雑で、当時も説明しにくかったのでしょう。輸出七宝の最盛期だった明治には、花瓶や香炉、香合などの完成品とともに、多くの製作行程見本が海外向けに作られ七宝技術の説明に使われていたようです。この製作見本も当時作られたものの一つです。
並河靖之―近代京七宝の立役者
幕末の混乱の空気が覚めやらぬ明治初め、のちに大変な人気を博し、現在も美術市場で絶大な人気をほこる七宝作家、並河靖之(1845~1927)が誕生します。彼はもともと七宝とはまったく縁もゆかりも無い家庭に生まれ、青蓮院宮の世話係として働いていました。幕末明治の混乱の中、目をつけた七宝業に邁進、さまざまな失敗を乗り越えて発展させ近代京七宝の立役者となります。
工房風景
並河の工房は高級品の製作に特化していました。選りすぐりの職人の分業により作品は制作されていましたが、焼成のタイミングだけは、必ず並河靖之自身が見届けていたといいます。写真の後方にならぶ小瓶はすべて釉薬。繊細な植線技術とさまざまな釉薬の使い分けにより誰にも真似できない繊細な画面の作品が生み出されていきました。現在、工房の跡地は並河靖之七宝記念館として公開され、当時の制作風景を窺うことが出来ます。
並河の黒地に鮮やかで繊細な花鳥図を描き出した七宝作品は特に人気がありました。色とりどりの草花は黒地に格別に映えます。そうした作品は大変な需要があり、値段が跳ね上がったとも言われています。こちらの作品の高さはわずかに8cm。並外れた技量を感じる作品です。並河の作品は、図案の輪郭線となっている銀線の太さをさまざまに変えており、それによってグラデーションや絵画的な繊細さを七宝の作品に与えています。
京都からは他にも、錦雲軒の稲葉七穂(1849~1931)などさまざまな七宝作家が輩出されました。当時、三条大橋東の一帯には多くの七宝工房がひしめき合い、主に輸出を見据えた作品が盛んに制作されていました。
日本における三大七宝産地といえば、これまで見てきた京都に加え、有線七宝発祥の地である尾張と、並河靖之とともに帝室技芸員にも選出された濤川惣助(1847~1910)を輩出した東京が挙げられます。京都の並河と並び称される東京の濤川惣助。赤坂の迎賓館の作品が特に有名ですが、最終工程で銀線を取り除き、独特のにじみを表現する無線七宝という技法を新たに開発したことで知られています。博覧会で彼の作品を目にした観客は、絵画と誤解したと伝わっているのですが、それも大いに頷ける作品です。
最も早く、そして最も盛んに七宝が制作された尾張。今も続く尾張七宝の老舗、安藤七宝店の工場長としても活躍した川手柴太郎による対花瓶。こちらは鳥が蝉を狙っているようにも見える、緊張関係を孕んだ面白い画面構成になっています。この花瓶の上部には皇室の紋である菊の御紋が付されています。高級七宝は天皇家に買い入れられたのち、外交使節への贈答品や功臣への下賜品として使われることもしばしばありました。この対花瓶もそうした来歴のものだと思われます。
尾張七宝の林小伝治(1831~1915)の作品。林小伝治は日本における有線七宝の創始者、梶常吉の直弟子、林庄五郎から七宝を学んだとされる。手のひらサイズの香合は思わずそばにおきたくなる愛らしさ。香合の作品も比較的多く残っており、当時の人気のほどがが伺えます。
残念ながら現在、こうした作品に見られるような手間と時間を厭わない制作姿勢や繊細な技術は失われつつありますが、七宝の技法は今も尾張を中心に生き続け、アクセサリー製作や個人の作家作品のなかにもその技術の系譜を見ることができます。
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資料提供&協力: 清水三年坂美術館
協力: 公益財団法人 京都伝統産業交流センター 京都伝統産業ふれあい館
監修&テキスト: 松原史 (清水三年坂美術館)
編集: 山本真紗子(日本学術振興会特別研究員)、京都女子大学 生活デザイン研究所 渡邉碧(京都女子大学家政学部生活造形学科)
英語サイト翻訳:Eddy Y. L. Chang
プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授)