作成: 立命館大学アート・リサーチセンター
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
霊峰白山のふもと
本州の中央部に位置し、日本海に面する石川県加賀地方は、日本三名山のひとつ白山のふもとに広がります。
16世紀末、文化大名として名高い前田家の所領となって以降、数々の文化・芸術がこの地に花咲きました。そのひとつが九谷焼です。
創始者前田利治公
現在では、白い器としてなじみ深い磁器は、17世紀当時、国内はもちろんのこと、世界的にも大変貴重な存在であり、各国の権力者にとってまさに憧れの的でした。まだ磁器の製作技術がなかったヨーロッパでは「白い金」と呼ばれ、黄金を超える価値を誇ったといいます。
加賀の地において磁器が造られるようになったのは、1655年、今から約360年前のこと。創始したのは、大聖寺藩前田家初代藩主・前田利治公(1618~1660)です。大聖寺藩は、加賀百万石で知られる加賀藩前田家から分かれ誕生した小さな藩でした。しかし、利治公の文化、芸術にかける情熱は並々ならぬものがあり、本州では初めてとなる磁器生産に成功します。九谷焼は、文化大名・大聖寺藩前田家がその威信をかけ創始したものなのです。
九谷焼は、九谷村から
九谷焼の名は、大聖寺藩領内にあった九谷村に由来します。九谷村(現在の加賀市山中温泉九谷町)は、日本海に注ぐ大聖寺川の上流域、温泉地として有名な加賀温泉郷・山中温泉からさらに13kmほど山を遡ったところにあります。17世紀前半、磁器の原料となる陶石が発見されたことをきっかけに、この地に窯が築かれました。
1979年、この一帯は、「九谷磁器窯跡」として国の史跡に指定されました。現在、窯跡に加え、前田利治公や、その家臣であり実務を担った後藤才次郎の顕彰碑が立っており、九谷焼発祥地として、順次保存整備が進められています。
ゴッホの先輩
九谷焼のうち、最も初期に造られた作品群を古九谷と呼びます。古九谷は、いくつかの様式に分かれますが、なかでも一番特徴的なのが青手です。緑や黄色などの上絵具によって余白なく器を塗り埋め、抽象的な意匠を多く用いた一群です。濃厚で大胆な趣が感じられる青手は、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)の油絵を彷彿とさせます。しかも、驚くべきは、これらが17世紀中~後半に造られたということ。ゴッホに先立つこと、実に2世紀です。
5色の上絵具
古九谷におけるもうひとつの代表的な様式、これを色絵五彩手といいます。赤、黄、緑、紺青、紫の5色の上絵具を使い、山水や花鳥、幾何学模様といった意匠を描いたものです。力強い筆遣いと鮮明な色彩によって、斬新な美意識が表現された作品群。かの北大路魯山人(1883~1959)が、「恐ろしく芸術的」と絶賛するなど、古九谷には、時代を超えて、非常に高い評価が与えられています。
廃絶と再興
18世紀に入ると、古九谷は、忽然とその姿を消してしまいます。窯が廃絶した理由は、いまだ明らかになっていません。その後、約1世紀にわたり、加賀の地において陶磁器はほとんど造られなかったといいます。衰退した状況に風穴を開けたのは、1807年、金沢に開窯した春日山窯です。以降、若杉窯(1811年)、小野窯(1819年)といった窯が次々と築かれました。そんな中、古九谷を再興させたといわれるのが1824年、九谷村に開窯した吉田屋窯です。これらの窯が互いに競い合い、協力し合うことによって、九谷焼の勢いは再び盛んになりました。
海を渡った“KUTANI”
19世紀後半、明治時代を迎えると、九谷焼は盛んに輸出されるようになります。
そのきっかけとなったのは、万国博覧会です。ウィーン(1873年)、フィラデルフィア(1876年)、パリ(1878年)といった欧米各地で開催された万国博覧会に、九谷焼は積極的に出品を果たし、数多くの賞を受けました。
この時期、作風も様変わりします。赤や金を多用し、西洋顔料などの新たな技術も導入して、より細かく、より艶やかに絵柄を描き込む様式は、この時代を代表するものです。
原料
やきものといえば、原料は粘土だと思いがちですが、磁器である九谷焼の原料は、陶石と呼ばれる岩石です。現在では、小松市花坂町で採掘される花坂陶石が主に用いられています。
九谷焼 《菊練り》出典: 石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会提供
九谷焼 《ろくろ成形》出典: 石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会提供
九谷焼 《焼成》出典: 石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会提供
クリスタルガラスで彩る
上絵具の原料はクリスタルガラス。酸化鉄や酸化コバルトといった顔料をクリスタルガラスと混ぜ合わせることによって、透明感と鮮やかさにあふれる発色が得られます。 産地には、古くから「九谷は絵付けを離れて存在しない」という言葉が伝わっています。
若手から大家までおよそ300人にのぼる作家たちが、それぞれの独自な世界を体現しようと、日夜創作活動に励んでいます。一方、共通して彼らの根底に流れるのが、古九谷スピリットというべきものです。作陶によって新たな時代を切り拓かんとする精神性を着実に継承しているのです。
資料提供&協力:石川県九谷焼美術館、鶏声磯ヶ谷美術館、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会提供、小松市立博物館、能美市九谷焼資料館
写真: 蔦井美孝
監修&テキスト:中村太一 (東京大学大学院)
編集:山本真紗子(日本学術振興会特別研究員)、 京都女子大学 生活デザイン研究所 鈴山雅子(京都女子大学家政学部生活造形学科) & 毛嘉琪 (京都女子大学大学院)
英語サイト翻訳: Meghen Jones
英語サイト監修: Melissa M. Rinne (京都国立博物館 )
プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授)