京薩摩

細密装飾を極めたやきもの

作成: 立命館大学アート・リサーチセンター

立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学

京薩摩 「Made in Japan:日本の匠」(2016) - 作者: 空女工房立命館大学アート・リサーチセンター

京薩摩 《色絵菊花文皿》(部分)(2015) - 作者: 空女工房立命館大学アート・リサーチセンター

絢爛豪華な色彩、超絶技巧というべき細密な絵付を特徴とする京薩摩が生まれたのは、今からおよそ150年前、明治はじめのことでした。

錦光山他《京薩摩香炉》清水三年坂美術館蔵(錦光山 他、撮影:木村羊一)出典: 清水三年坂美術館

京薩摩とは、貫入のある白素地に、多彩な色絵と光り輝く金彩が美しい、細やかで華やかな絵付けの陶器です。本家薩摩(鹿児島)で作られた本薩摩に対して、京都で作られた薩摩焼なので京薩摩。幕末のパリ万国博覧会、明治のウィーン万国博覧会などで西洋の人々の目に留まった薩摩焼は、SATSUMAとよばれて大人気となっていきました。  

錦光山宗兵衛商店の様子『都の魁』所収、京都府立総合資料館蔵(1883)立命館大学アート・リサーチセンター

江戸時代から陶器の生産で長い歴史を持つ京都東山の粟田口地域においても、薩摩金襴手の海外での評価を知り、それに習った独自の「京薩摩」の製作が盛んになっていきます。京都における京薩摩の彩画法は六代錦光山宗兵衛(1824~1884)によって開発されたといわれています。錦光山家は、天皇家と関わりの深い青蓮院の御用や江戸幕府の将軍の御用を代々努めた京都粟田口焼の名家で、錦光山の名も、将軍より賜ったものだといいます。しかし、幕末の動乱と明治の新体制のもとで従来のパトロンを失い新たな市場の開拓が必要となったのです。

錦光山宗兵衛商店の様子『都の魁』所収 京都府立総合資料館蔵(1883)立命館大学アート・リサーチセンター

そんなとき、1人の欧米人の訪問を受け、海外貿易に着手することを決意したといいます。明治3年には京薩摩の彩画法を開発、明治5年までには本格的な輸出を開始しました。

七代錦光山宗兵衛肖像写真 (1868-1927) 錦光山和雄氏蔵立命館大学アート・リサーチセンター

七代錦光山宗兵衛 (1868~1927)

錦光山は明治を通じて事業を拡大し続け、京薩摩の生産高は鹿児島で作られる本薩摩を凌駕するものとなります。

錦光山工房の風景《本焼き》(1890/1920)立命館大学アート・リサーチセンター

錦光山の登り窯

最盛期には4000坪を超える敷地に700人余りの人々が働いていました。粟田口周辺の土2種と隣県である滋賀県甲賀地方の土2種を合わせて素地製作を行い、絵付け、梱包、販売に至まですべてを自前でまかなっていました。粟田口には他にも帯山、安田、楠部など数々の窯元がひしめき、窯の炎は絶えることなかったといいます。

京薩摩 《菊唐草図ティーセット》 清水三年坂美術館蔵(錦光山 (1868-1927) 、撮影: 木村羊一)出典: 清水三年坂美術館

当時輸出された京薩摩の盛況を物語るように、欧州や米国の博物館には多くの京薩摩が収蔵されています。例を挙げればきりがないのですが、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館、フランスのギメ美術館、アメリカのフィラデルフィア美術館などには京薩摩の花瓶や香炉、碗、皿などが収蔵されています。

越田製造 祥山《扇面透彫飾壺》清水三年坂美術館蔵(越田製造 祥山、撮影:木村羊一)出典: 清水三年坂美術館

京薩摩 《色絵金彩菊花文ティーカップ&ソーサー》(2015) - 作者: 空女工房立命館大学アート・リサーチセンター

京薩摩 《お茶屋遊び図六角小箱》 清水三年坂美術館蔵(錦光山 (1868-1927) 、撮影: 木村羊一)出典: 清水三年坂美術館

京薩摩はその始まりから西洋を市場として意識していました。金彩が多用されたのも、西洋の好む日本らしい風俗画や花鳥画が多く描かれたのも、珈琲カップやティーポットなどが作られたのも西洋の嗜好や生活習慣に合致させるため。1対の花瓶はしばしば暖炉飾りやランプとして利用されていました。日本が海外へ再び扉を開いた19世紀という時代を反映し、西洋の望む日本の姿を写し出した陶器、それが京薩摩であるとも言えるのです。

錦光山工房の風景《成形》(1900/1920)出典: 清水三年坂美術館

大正時代に入ると、欧州での大戦の影響や粗悪品の乱造などにより、輸出に陰りがみえてきます。昭和になると日本の戦端が開かれ輸出品としての京薩摩の製作はほとんど行われなくなり、粟田口における作陶の火も潰えてしまいした。

京薩摩 《上絵付》(2015) - 作者: 空女工房立命館大学アート・リサーチセンター

しかし時を経て、人の手によって描かれたとは到底思えない超絶技巧の京薩摩作品に感銘を受け、その技術を復興しようとする一人の絵付師が現れます。意匠、顔料、筆遣い、そのすべてを伝世した作品から学び、試行錯誤の末、現代に京薩摩を蘇らせました。尾形光琳に私淑した琳派の酒井抱一のように、作品を通しての継承が行われたのです。

京薩摩 《空女作品》(2015) - 作者: 空女工房立命館大学アート・リサーチセンター

京薩摩 《上絵具》(2015) - 作者: 空女工房立命館大学アート・リサーチセンター

明治期の薩摩焼にならいながらも、現代の人々の好みや生活に会う様にとさまざまに工夫され、陶器だけではなく磁器への絵付けも行われる様になりました。現在も京都丹波橋の空女工房では、日々進化しながら京薩摩の製作が行われ、さまざまな作品が生み出されています。

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清水三年坂美術館

歴史ある清水寺の参道沿いに位置する清水三年坂美術館では、京薩摩の名品を常設展示しています。

提供: ストーリー

資料提供&協力:清水三年坂美術館空女工房

監修&テキスト:松原史 (清水三年坂美術館

映像: A-PROJECTS 高山謙吾

編集:京都女子大学生活デザイン研究所村田愛、小林祐佳 (京都女子大学家政学部生活造形学科)

英語サイト翻訳: 黒崎 美曜・ベーテ

英語サイト監修: Melissa M. Rinne (京都国立博物館

プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
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