冬の山ノ内町 雪景色(2020)農林水産省
冬になると、純白の雪化粧をあしらえた美しい光景が広がります。住民によって大切に継承される地域の伝統は、その規模からは考えられないほど、日本の食文化に大きな影響を与えています。そして何よりも驚くべきは、山ノ内で引き継がれている、様々な伝統文化の間に見られる絶妙的な 「繋がり」 です。
町内で採れるそば粉で打たれた蕎麦に、それを盛り付けることのできる伝統工芸品の須賀川竹細工のざる。また、その竹細工の技術で編まれたアート作品のようなカゴに盛られるみずみずしい山ノ内町の果物は、なお一層食欲をそそります。お互いに深く関わり合いながら育まれたこの地の文化は、未来へと受け継がれてほしい、町の宝です。
志賀高原:志賀山と四十八池湿原農林水産省
「自然と人間社会の共生」による持続可能な発展を目指している山ノ内町は、志賀高原を中心に「ユネスコエコパーク」に登録されています。
登録年は、日本国内で最も歴史が古い1980年。上信越高原国立公園の特別保護地区にもなっている核心地域には、原生林や高山植物など手つかずの自然が保たれ、生物多様性の保全にとても重要な地域なのです。
志賀高原での、初夏から晩秋にかけてのトレッキングは、子どもから大人まで気軽に自然に触れあえることで人気があり、冬になると、標高2,000mの山々は日本最大級のスノーリゾートとして、パウダースノーを求めるスキーヤーを迎えます。山々に積もった雪は、雪解けとともに土壌で濾過され、ミネラルを豊富に含んだ清流となり麓の大地を潤します。清らかな水により育まれたりんごなどの果物は、この地でしか味わえない、味わい深くみずみずしい果実に育ちます。
まずは、この地域に昔から伝わる郷土料理を探ってみましょう。
須賀川そば(2020)農林水産省
長野県下高井郡山ノ内町に伝わる、伝統的な方法でつくられた「須賀川蕎麦」。
蕎麦は、そば粉と小麦粉の組み合わせでつくるのが一般的ですが、須賀川蕎麦には ”オヤマボクチ” という山ごぼうの一種をつなぎに用いているため、一味違う蕎麦の世界を体験することができます。オヤマボクチの葉には多くの繊維が含まれており、この繊維が須賀川蕎麦に特徴的なコシのある食感を生み出す役割を果たしているのだといいます。
訪ねたのは、山ノ内町の深い山々に囲まれた蕎麦処 はちのこ。北澤滋子さんは、はちのこを経営する地元の蕎麦職人で、町内の宿泊客や一般の方に向け蕎麦打ち体験ができるワークショップを開いています。
石臼でそばの実を引く(2020)農林水産省
東京都出身の北澤さんは、27歳の時に友達と行ったスキー旅行での運命的な出逢いをきっかけに、長野県に移住を決断。以降、蕎麦職人として長野の山々に囲まれながら人々に愛される蕎麦を提供し続けています。大自然の澄んだ空気と清らかな水に触れ合い のびのびと蕎麦づくりを学んだ北澤さん、自身の体験とともに、この地域の蕎麦作りの極意を語ってくれました。
そば粉をふるいにかける(2020)農林水産省
須賀川蕎麦をつくるには、まず蕎麦の実を臼で挽き、ふるいにかけた後、オヤマボクチの繊維と混ぜて、水を加えてこねていきます。蕎麦生地をしっかりと練る事で、艶とコシのある蕎麦へと仕上げていきます。練り上がった生地を、今度は数ミリの薄さに伸ばし、包丁で均等な間隔に切り、熱湯で茹でたら出来上がり。シンプルに聞こえるかもしれませんが、この工程を30分程でこなすことは決して容易な事ではありません。
そば打ち体験(2020)農林水産省
オヤマボクチの葉(2020)農林水産省
この道35年の北澤さんは、慣れた手つきでそば粉と水を鍋の中に入れ、火をかけてかき混ぜます。そこに茹でた大根を入れ混ぜると出来上がり。これは、この地域に伝わる ”早蕎麦” という郷土料理です。家庭でも作られることが多く、蕎麦生地を切って茹でるよりも短い時間で手軽にできることからつけられた名前だそうです。早蕎麦には、温かいそばつゆをかけ、わさびとネギをトッピングしていただくのがおすすめ。もっちりとした食感に、凝縮された香ばしい蕎麦の香りが口いっぱいに広がる、蕎麦好きにはたまらない一品です。シンプルだからこそ、素材そのものの美味しさを味わえる故郷の料理です。
オヤマボクチ(2020)農林水産省
早そば(2020)農林水産省
通称 ”山ごぼう”とも呼ばれているオヤマボクチに含まれる豊富な繊維は、須賀川蕎麦の独特なコシを造り出すのに欠かせない重要な役割を果たしています。蕎麦のつなぎとして使われるオヤマボクチの細かい繊維は、葉の裏の部分に生えていて、摘み取った葉を乾燥させた後、太い葉脈を抜き、繰り返し揉んで取り出します。この繊維の精度を上げていく作業には大変な時間と手間が掛かります。
早そば(2020)農林水産省
竹細工(2020)農林水産省
ところで、日本の蕎麦の大きな特徴の一つに挙げられるのは、お蕎麦を盛り付ける器の「ざる」。日本で竹製のざるは昔ながらの暮らしの道具として、食卓で蕎麦を盛りつけたり、台所では野菜などを洗って水を切る調理道具にも使われてきました。ここ山ノ内町は、日本有数の竹細工の生産地でもあるのです。
この地域に古くから伝わる須賀川竹細工は、そのしなやかで頑丈な特性から、古くから愛され人々の暮らしに欠かせないものです。日本民芸館賞にも選ばれた須賀川竹細工職人の巧みな技術は、長野県伝統的工芸品に指定され、人々の大切な文化として受け継がれています。
竹細工体験(2020)農林水産省
この地域で竹細工職人として活動している田中久夫さんの家系は、先祖代々330年須賀川竹細工を作ってきました。時代が変わり職人の数が減っていく中、「これこそが我々の生活を守ってきた文化だ、なくしてはならない」と強く感じ、昭和55年に須賀川竹細工振興会を発足されました。
田中さんの工房では、須賀川蕎麦とも深い関わりを持つ、この伝統工芸の技術をワークショップとして体験することができます。田中さんによると、この地域は昔多くの竹細工工房が混在し栄えていましたが、近年は地方の少子高齢化の影響で技術を受け継ぐ人が減ってきているそうです。美しさと実用性を兼ね備え、人々に愛され続けている須賀川竹細工ですが、その技術を受け継ぐ工房は現在この地域では田中さんの須賀川竹細工振興会だけとなっています。
竹細工振興会 竹細工作り(2020)農林水産省
大変な手間と時間を要する手編みの竹細工にこだわる理由を田中さんは、「品物を受け取った時のお客様の笑顔」のためなのだと語ります。このように須賀川竹細工が愛され続けるのは、大量生産品には真似のできない温かみのある味わいが楽しめ、編み込まれた竹からその歴史を感じることができるからではないでしょうか。
竹細工振興会 田中さん(右)と田中さん(2020)農林水産省
田中さんの作品は、銀座の一流店での販売をはじめ全国の工芸展にも出品され、高い評価を受けています。全て人による手作業で作られる竹細工は、使い込むほど経年変化によって飴色に変わり、馴染んでくるもの。江戸時代よりこの地で守り伝えられてきた伝統工芸「竹細工」、一本の竹からひとつの道具ができるまでの楽しみを、ここ山ノ内町で体験してみてはいかがでしょうか?
竹細工のかご(2020)農林水産省
山ノ内のりんご(2020)農林水産省
須賀川竹細工と同様に、大変な手間と長年の技術から大切につくられている特産品が、山ノ内町のりんごです。日本で有数の果物の産地として知られる長野県は、主にりんごやもも、ぶどうを多く生産しています。佐々木明雄さんの経営するりんご農園では、年間約2万個の生産量を誇り、10月に採れるシナノスイートと秋映、また11月から収穫が始まるサンふじとシナノゴールドの4つの品種を生産しています。
山ノ内のりんご(2020)農林水産省
佐々木さんをはじめとする地域の農家によって育てられたりんごやぶどうは、東京を中心とした関東地方や、大阪を中心とする関西地方へ出荷され、主に贈答品として販売されます。品質にこだわった高級なりんごを栽培しているため、日常的に食べられるりんごよりも鮮度が高く、コクの強いものが多いのだといいます。パリッとした皮の中に閉じ込められ、ジューシーでシャキシャキとした甘みの強い果実が特徴のりんごは、品質にこだわる方にとって最高の贈り物です。
ぶどうの収穫をする佐々木さん(2020)農林水産省
佐々木さんの家は先祖14代、りんごとぶどう農園を営んでいます。山ノ内地域は6月下旬から収穫されるさくらんぼをはじめ、桃やぶどう、そして秋に収穫されるりんごの栽培に適した環境に恵まれています。りんごは標高400から500メートあたりで栽培されるのが最適と言われ、 園地は南西側に面しているため、日没まで多くの日光を浴びることができるのです。
佐々木さんのりんご畑(2020)農林水産省
りんごの栽培をするにあたって標高と同じくらい大事な条件は、栽培する水と土壌です。山ノ内地域は志賀高原の雪水から得られるミネラル豊富な栄養が含まれる火山灰土壌。また、1年を通じて寒暖差が激しいため、その厳しい気候はりんご栽培にとても適しているのだと、佐々木さんは説明します。
日光、ミネラル豊富な水と火山灰土壌、寒暖差といった好条件が揃う山ノ内の山間で育つりんごは、口当たりが滑らかで、甘みの強いものになるそうです。豊かな自然の恩恵を受けて代々りんごを育ててきた佐々木さんは、その厳しくも偉大な山ノ内の自然を、誰よりも愛し尊敬していると話します。そしてここで得られる経験はお金には変えられない格別なものがあるのだということを、私たちに教えてくれました。
地獄谷野猿公苑に生息するニホンザル(2020)農林水産省
長野県山ノ内に流れる横湯川のほとりの渓谷に、徒歩でしか辿り着けない秘湯 “地獄谷野猿公苑” があります。ここ地獄谷で温泉に浸かる猿たちは、”スノーモンキー” の愛称で親しまれ、この珍しい光景を一目見ようと、世界中から人々を引き寄せるマスコット的存在となっています。
地獄谷野猿公苑の猿たちは、昔から温泉に入っていたわけではなく、ある日、当主が、雪混じる冬の日に厳しい寒さをしのごうと近くの旅館の露天風呂に入る野生の猿を見つけ、優しい当主が猿専用の露天風呂を造ってあげたのが始まりだそうです。
今では人間、猿共々に親しまれるホットスポットとなった地獄谷野猿公苑ですが、春先に訪れると、桜を背景に猿の親子と遭遇できることもあります。
職人の温もりがこもった竹細工に、須賀川蕎麦。手間ひまけかて育てられたりんごや、お客様の心も体もしっかりと癒してくれる温泉。山ノ内では、洗礼された職人の技とこの地で繋がる人の温かさを見つけることができました。
協力:
はちのこ
須賀川竹細工振興会
佐々木明雄氏 (りんご、ぶどう農家)
地獄谷野猿公苑(スノーモンキーパーク)
山ノ内町役場
写真: 上澤友香
執筆: Lucy Dayman, Manami Sunaga
編集: 林田沙織
制作: Skyrocket 株式会社