たとえ彼の名前を知らずとも、誰もが彼の作品を知っているのはなぜでしょう?
ドキュメント写真(1988) - 作者: 岸田 晃中村キース・ヘリング美術館
キース・ヘリング(1958-1990)
キース・ヘリングは、1980 年代のアメリカ美術を代表するアーティストです。
ヘリングは1958年5月4日にアメリカのペンシルベニア州で生まれました。
サブウェイ・ドローイング(1981) - 作者: キース・ヘリング中村キース・ヘリング美術館
1978年にニューヨークへ移り、名門の美術学校であるスクール・オブ・ビジュアル・アーツに入学します。
アルバイトに通う道すがら、いつも利用していたニューヨークの地下鉄を表現の場にすることを思いつき、地下鉄構内の広告板を使った《サブウェイ・ドローイング》というチョークによるドローイングを描きました。
ヘリングのドローイングは、シンプルでわかりやすく誰にでも受け入れられ地下鉄通勤をする人々の間で話題となり、瞬く間にニューヨーク中にその名が知られることとなりました。
ドキュメント写真(1988) - 作者: 岸田 晃中村キース・ヘリング美術館
アートが大衆のためにあるということを提唱しつづけたヘリングの活動は、絵画や彫刻にとどまらず、コスチュームや舞台デザイン、ポスター、レコードジャケットの制作や、みずからデザインしたグッズを販売する《ポップショップ》の展開に至るまで多岐に及びます。1988年には東京、青山に《ポップショップ東京》を一時的にオープンし、ブームを巻き起こしました。また、世界各地で壁画制作や子どもたちとのワークショップなども開催し、社会的なプロジェクトも数多く手がけました。
沈黙は死(1989) - 作者: キース・ヘリング中村キース・ヘリング美術館
1988年にエイズと診断され、その翌年には子どもたちのための福祉活動や、エイズ関連の活動を継続するためのキース・ヘリング財団を設立し、1990 年に31歳で亡くなるまで、アートを通して社会活動に積極的に関わりました。財団は現在もニューヨーク市にある生前のスタジオを拠点に、ヘリングの遺志を継承する社会への貢献をつづけています。
無題(ピープル)(1985) - 作者: キース・ヘリング出典: Nakamura Keith Haring Collection
《無題》(1985年)
この作品では無数の人間が天も地もなくまるで紋様のようにからみ合い、横幅およそ4mの大きな画面を構成しています。黒い線だけで、目も鼻もない、人間のシルエットが描かれており、ピンク、オレンジ、青、黄緑、紫の色鮮やかで有機的なシェイプが全体を通して広がっています。
人々は窮屈そうに重なり合い、押し合いへし合いもがき、何とかして前に、あるいは少し楽な方向に進もうとしているようにも見えます。
画面上の人々は、必ず交わり合っていて、誰かと触れ合い、助け合い、愛し合い、時に傷つけ合う、私たちのヒューマニティーのインターセクショナリティー(交差性)を描いているかの様です。
ジェンダーも人種も文化もない画面上の人々は、パターン化されており、人間の平等性を表しています。
オルターピース:キリストの生涯(1990) - 作者: キース・ヘリング出典: Nakamura Keith Haring Collection
《オルターピース:キリストの生涯》(1990年)
これは1990年2月16日、31歳でエイズにより亡くなる数週間前に完成した最後の作品です。教会の祭壇のためのオルターピース(祭壇飾り)として、現在世界の教会や美術館9箇所に収蔵されていますが、ヘリングの追悼式が行われたニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂に今も飾られています。死を目前にしたヘリングの平和への願いと希望、そして生命の力が刻まれた永遠の作品です。
ホワイトゴールドの箔が押された3面のブロンズからなり、その横幅は2mを超えます。中央最上部に配された十字架の下にはいくつもの腕が伸び、その腕には赤ん坊が抱かれ、天使が周囲を飛び交います。
そして何かに沸き立つ様に、拳を上げる人々の姿が力強く刻まれています。まるで病に侵され衰弱する中で、最期の力を振り絞り、生命を賛美しているかの様です。
All Keith Haring Artwork ©Keith Haring Foundation