金錯銘鉄剣が語るもの

埼玉県立さきたま史跡の博物館

稲荷山古墳は埼玉古墳群で最初に造られた大型古墳です。後円部の墳頂にある礫槨からは、銘文が刻まれた全長73.5センチメートルの鉄剣が出土しました。剣身の両面に合計115文字の金象嵌の銘文が刻まれています。この銘文は古墳時代の刀剣に記された銘文としては最も長文で、書かれている内容も日本の国の成り立ちに関係することが含まれています。その歴史的価値が極めて高いことから、1983年に国宝に指定されました。

「金錯銘鉄剣」全体
銘文に記されている内容は、この剣を作らせた「ヲワケ臣」(おわけのしん)という人物が、大王(当時の日本の支配者)に政治の補佐役として仕えたことを誇りにし、記念のために銘文を刻んだことが書かれています。
部分拡大「辛亥」
銘文を記した年代を示し、「しんがい」と読みます。中国で使われていた暦による年代表示で、60年に1回同じ「しんがい」がめぐってきますが、ここでは西暦471年を示していると考えられています。
部分拡大「乎獲居臣」
剣を作らせ銘文を記させた人物の名前で、「おわけのしん」と読みます。人名は一文字一音で書かれることが多く、「乎獲居」が本来の名であり、家来という意味の「臣」を付けて、自らをへりくだって名乗っている、と考えられています。「おわけこ」と読む説もあります。  
部分拡大「杖刀人首」
当時の日本では、「○○人」という名称で大王に仕える役職を示していたと考えられています。「杖刀人」は「刀剣で武装した人」という意味で、軍事的官僚と考えられます。「首」は「かしら」の意味で、「杖刀人首」とは「護衛隊長」の役職を指していたと考えられています。
部分拡大「獲加多支鹵大王」
ヲワケが仕えていた大王の名前で、「わかたけるおおきみ」と読みます。「日本書紀」に記録されている「オオハツセノワカタケル」(第21代雄略天皇)、「宋書倭国伝」に出てくる「倭王武」(「倭の五王」の5人目の王)を示していると考えられています。
提供: ストーリー

埼玉県立さきたま史跡の博物館

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