国宝 餓鬼草紙

京都国立博物館

餓鬼草紙
餓鬼草紙は、飢えと渇きに苦しむ亡者となった餓鬼の世界を描いた絵巻物です。戦乱が相次いだ平安時代の終わりから鎌倉時代初めにかけて制作されたと考えられており、地獄草紙や病草紙と同じく、苦悩に満ちた現実を直視するような性格をもつ作品といえます。ただ、京都国立博物館に所蔵されるこの餓鬼草紙は、苦しみばかりでなく餓鬼が救済される説話をいくつか収めており、他の類品とは思想背景が異なる可能性もあります。それでは、描かれた場面を見ていきましょう。(なお、絵巻物は本来右から左に鑑賞するものです。)

第1段

この餓鬼は、河の水を飲むことができない。
飲もうとすれば、鬼が追い立ててくるのである。

わずかに、河を渡った人間の足からしたたる水滴を舐めることでしか命を永らえられない。人間は、背後に迫る巨大な餓鬼に気づくことはない。

第2段

どこかの寺の境内であろうか。
門を通ってさまざまな人々が出入りし、そのまわりでは仏画などが売られている。

画面左に目を移すと、笠塔婆(かさとば)の根元に水をまいている数人がみえる。
なんと、彼らを3匹の餓鬼が取り囲んでいるではないか。

人々が水をまくのは、亡くなった父母供養のため。
どうやら、餓鬼たちは、ただの水であれば飲むことはできないが、供養のためにまかれた水であれば渇きを癒すことができるらしい。
細かな陰影表現によって、存在しないはずの餓鬼をこれほどまでに生々しく描き出した絵師の技術には驚嘆するほかない。

人間たちは、餓鬼に気づくようすはなく、一心に仏に祈りを捧げている。
この絵を見た者は、自分の周囲にも見えないだけで餓鬼がいるのではないかと、恐れ、あるいは楽しんだのかもしれない。

第3段

釈迦十大弟子のひとりである目連は、母が餓鬼道に堕ちたことを悲しんで、飢えを癒してあげようと餓鬼の世界へ飯を持参する。

しかし、母が飯に手を伸ばすと、たちまち炎に変わり食べることができない。(画面右下)

第4段(前段の続き)

目連は仏の言うとおりにして、母に飯を与えた。
今度は炎にならず、母は腹を満たすことができた。

しかし、他の餓鬼がその飯を求めて集まってきたのだが、母は鉢の上にかぶさって与えようとしない。生まれつきの性質は変わることがなかったのである。

第5段

天竺にいた500もの餓鬼は、インダス川の水を飲もうとするも近付くと火に変わってしまい飲む事ができず苦しんでいた。
そこに、仏が現れた。これは何千年に一度という奇跡である。
仏は餓鬼たちに、今の苦しみは前世でのおこないのせいであると説法する。
しかし、餓鬼たちは苦しみのあまり話が心に入らないと訴える。

仏は仕方なく霊力をつかって餓鬼たちに水を飲ませた。
餓鬼たちが水を飲むと、みるみる表情はおだやかに、体も飽満になって、まるで人間のすがたのようである。
渇きが癒えたところで改めて説法をおこなうと、餓鬼たちは発心し天に昇っていった。

第6段

釈迦十大弟子のひとり阿難が修行しているところに、火を吐く餓鬼が現れる。
餓鬼が自らの苦しみを訴えるので、阿難は仏に救済の手立てを聞きに行った。
阿難が仏に教えられた通りにすると、餓鬼は苦しみから逃れることができた。
これが施餓鬼会のはじまりである。

この段の絵師も腕のある人物である。
餓鬼のおぞましい姿を見ていただきたい。

醜い餓鬼に対して、美男で知られた阿難の端正な横顔。
この対比も見どころである。

第7段

前段で阿難が授けられた救済の方法が、後世に受け継がれ、施餓鬼会として執り行われる。

僧たちが飯を地面に落とすと、山奥から餓鬼たちが次々と集まってくる。
しかし、僧たちにもその姿は見えていないのであろう。

提供: 全展示アイテム
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