ロココの男性服
豪華で突飛なデザインで際立っていた17世紀の男性服に比べ、18世紀の男性服は世紀を通して変化があまりみられません。鮮やかな色彩、華やかな刺繍、ジャボやカフスに使われた高価なレース、おしゃれのポイントだった釦などが、ロココの粋な男たちを仕上げるのに不可欠でした。18世紀、刺繍はむしろ男性服にその美しさを発揮します。
コート、ウエストコート、ブリーチズ(18世紀中頃)京都服飾文化研究財団
18世紀中期の男性服。コートはカフが大きく、ウエスト両脇から後ろ裾にかけてプリーツがたっぷりとたたまれています。ウエストコートは腰が隠れるほどの長さがあります。
金糸や銀糸、多色の絹糸を用いて華やかな織り柄が施されています。近代以前の西洋において、王侯貴族の男性服は女性服に劣らず華美で豪奢でした。自らの特権的地位を誇示し、服装によって身分制度を維持しようとする思惑があったからです。
男性用スーツ(コート、ウエストコート、ブリーチズ)(1765年頃)京都服飾文化研究財団
コート、ウエストコート、ブリーチズのセット。生地全面を埋め尽くすように配された小紋柄のテキスタイル(ドロゲ)は、18世紀中期の男性服にしばしば用いられます。
男性用スーツ(アビ・ア・ラ・フランセーズ)(1790年頃)京都服飾文化研究財団
アビ・ア・ラ・フランセーズ
18世紀上流階級の男性の盛装とされるアビ・ア・ラ・フランセーズは、コート、ウエストコート、ブリーチズの構成。これに膝までの白い絹靴下、ジャボと袖口飾りが付いた麻か綿のシャツ、クラヴァット(ネクタイの祖形)で整えられます。
18世紀、刺繍はむしろ紳士服にその美しさを発揮したといっても過言ではありません。その名残りは、現在でもアカデミー・フランセーズ会員の正装に見ることができます。特に盛装用のアビ・ア・ラ・フランセーズのコートとウエストコートには、金・銀糸、シークイン、多彩な色糸、模造宝石などでたっぷりと刺繍がされました。
男性用スーツ(アビ・ア・ラ・フランセーズ)(1770-80年代)京都服飾文化研究財団
ロココ時代の色とも言える淡いパステル調の色彩と軽やかな刺繍が特徴的なスーツ。
18世紀後期、全体に軽やかに細身になったコートとともに、ウエストコートの袖はなくなり、丈も短く、裾もまっすぐ水平な形態に変化しました。
男性用コート、ウエストコート(1790年頃)京都服飾文化研究財団
精緻な刺繍によってウエストコートに描かれた古代ローマ風のアーチや列柱。18世紀後期は、新古典主義の影響もあり古代ローマやゴシックの遺構や廃墟が絵画のモチーフや庭園の設えなどに頻繁に取り上げられました。
1780年代末からウエストコートの丈は非常に短く、折り返し衿付きとなります。この時代以降19世紀前半まで、コートが簡素化する中で、男性ファッションの華やかさを引き受けるのはウエストコートでした。
男性用室内着(バニヤン)(1785年頃)京都服飾文化研究財団
バニヤン
オランダ東インド会社が持ち帰った日本の着物や夜着が、ヨーロッパで紳士用室内着として愛用されていました。インド製の更紗や中国製のテキスタイルで作られたものも登場し、これらは総称してオランダで「ヤポンセ・ロッケン(日本の部屋着)」、フランスで「ローブ・ド・シャンブル・ダンディエンヌ(インド更紗の室内着)」、イギリスで「バニヤン(インドの商人)」と呼びます。
異国情緒溢れる色と柄の表地は、西洋の市場向けに中国で製作されたテキスタイルを使用しています。
長ズボン
フランス革命前後頃にみられた市民階級の服装。男性は半ズボンのブリーチズではなくトラウザーズと呼ばれる長ズボンを着用していました。1789年、フランス革命が勃発すると、革命派は、贅沢、豪奢な絹を革命の敵とみなし、貴族の象徴であるブリーチズと白の絹靴下に代えて下層民の服装である長ズボンを着用して前時代との隔絶を示そうとします。